2024年度の説教要約 (新しい順)
律法の完成者キリスト
マタイによる福音書 5章17節-20節ここでの「律法や預言者」というのは、旧約聖書全体のことを言い表している言葉です。特にここでは、旧約聖書の中の神様の戒めのことが考えられているのだと思います。イエス様は、その頃のユダヤの掟に対して、…
地の塩、世の光
マタイによる福音書 5章13節-16節今日の箇所でイエス様は、「あなたがたは地の塩である」、「あなたがたは世の光である」と言われました。この「あなたがた」というのは、直接的には、この「山上の説教」を聞いている弟子たちのことを指していま…
義のゆえに迫害される人々
マタイによる福音書 5章10節-12節10節のところでイエス様は、このように言われました。「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」そして続く11節のところでは、このことを弟子たちに当てはめながら、このよ…
平和を実現する神の子
マタイによる福音書 5章9節イエス様は、平和を実現する人々は幸いである、と言われました。平和を実現するとは、争いや対立がある所に、平和を確立することです。あるいは、心の平安をかき乱す問題が起こった時に、その問題を解決し、平安を…
心の清い人々は幸いである
マタイによる福音書 5章8節「清い」とは、字のごとくに「汚れのない状態」という意味があります。もし、神様の御前に出るに相応しい清さが、「汚れのない状態」だけを指すのであれば、誰一人、神様の御前に立つことは出来ないでしょう。 し…
憐れみ深い人々は幸いである
マタイによる福音書 5章7節「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」とイエス様は教えられました。憐れみ深い人の幸いは、神様から憐れみを受けることなのです。では神様の憐れみとは、いったいどのようなものなのでし…
義に飢え乾く人々は幸いである
マタイによる福音書 5章6節イエス様は、「義に飢え渇く人々が神様から祝福されている」と言われました。では「義に飢え渇く」とは、いったいどういう意味なのでしょうか。この「義」という言葉には、色んな意味があります。神様の正義、神様…
柔和な人々は幸いである
マタイによる福音書 5章5節この「柔和な」という言葉は、マタイによる福音書には、あと二箇所出てきます。一つ目は11章29節です。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だ…
悲しむ人々は幸いである
マタイによる福音書 5章4節私たちは、それぞれに様々な悲しみや苦しみを抱えながら生きています。愛する者を失った悲しみの中で懸命に生きている人がいます。自分の病気や怪我や障害、あるいは老いの現実の中で悲しんでいる人がいます。家…
聖書が教える幸い
マタイによる福音書 5章1節-3節この「幸いである」という言葉は、「幸福な気持ちを味わっている」という意味の言葉ではありません。自分が幸福な気持ちでいるかどうかが問題なのではなくて、「あなたは神様から祝福されている」というう意味で「…
弟子の召命
マタイによる福音書 4章18節-25節先週、私たちは、イエス様がいよいよ公の宣教活動を開始なさったという記事を読み進めました。イエス様は、ユダヤ教の中心地であるエルサレムからではなくて、「異邦人のガリラヤ」と人々から蔑まれていた辺境の地…
主イエスの伝道開始
マタイによる福音書 4章12節-17節イエス様は、公の伝道を開始なさる場所として、ユダヤ教の中心地であるエルサレムを選ばれたのではなくて、それとは全く対照的に、辺境の地、ガリラヤを選ばれました。そしてマタイは、「それは預言者イザヤを通し…
荒れ野の誘惑
マタイによる福音書 4章1節-11節先週学びましたように、イエス様は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、私たち罪人の列に加わって下さいました。人間がなすべき正しいことを全て成し遂げる決意をもって歩み出して下さったのです。その直後に経験さ…
主イエスの洗礼
マタイによる福音書 3章11節-17節イエス様は、洗礼を受けるために洗礼者ヨハネのもとに集まってきた民衆の列の中に紛れておられました。民衆に紛れ、民衆と同じように洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのです。これが公の活動を開始なさる前に、イ…
悔い改めよ
マタイによる福音書 3章1節-10節洗礼者ヨハネは、荒れ野で民衆に向かって「悔い改めよ。天の国は近づいた」と厳しく悔い改めを迫りました。「悔い改め」という言葉は、通常、世間一般では、悪人が今までの生き方をやめて、まじめに生き始めた時…
真の王 ナザレ人イエス
マタイによる福音書 2章13節-23節旧約聖書を見ると、「彼はナザレの人と呼ばれる」という言葉が、そのままの形で、預言者の口を通して語られたことはありません。これは「彼はナザレの人と呼ばれる」という事柄自体が意味していることが旧約聖書…
異邦人の救い
マタイによる福音書 2章1節-12節マタイは、東の国の占星術の学者たちが、不思議な星に導かれて、遠い国からはるばるユダヤの国まで旅を続け、ついには幼子イエス様を見つけ出し、黄金、乳香、没薬を捧げて礼拝した、という物語を伝えています。…
その名はインマヌエル
創世記 マタイによる福音書1章18節-25節主の天使は、生まれてくる子供を「イエス」と名付けるように、とヨセフに命じました。この「イエス」という名前は、当時のユダヤにおいては、全くありふれた名前でした。この「イエス」という名前は、当時、長男に…
系図が語る福音
マタイによる福音書 1章1-17節今日の箇所には、アブラハムから始まり、イエス・キリストに至るまでのイスラエルの歴史、系図が記されています。この系図に登場する人物を見てみると、決して立派な人たちばかりではないことが分かります。汚れ…
復活の希望
コリントの信徒への手紙一 15章20節-28節キリストの復活が肉体をもっての復活であったように、私たちにも、体の甦り、肉体における復活が約束されています。そして、その復活は、当然のことながら、まだ私たちの内には起こっていません。これは魂におい…
身代わりの十字架
ルカによる福音書 23章13節-25節今日の物語は、イエス様の十字架が「身代わりの十字架であった」ということを描いている物語です。バラバの代わりにイエス様が十字架について下さいました。それこそ壮絶な鞭で打ち叩かれ、もうボロボロになって…
献げる幸い
フィリピの信徒への手紙 4章14節-23節フィリピ教会は、牢獄にいるパウロのことを、献金というかたちで支援していました。パウロは、それに対する感謝を、先週学んだ10節のところから書き始めていたのです。今日の箇所には、このフィリピの教会が献げ…
喜びに生きる秘訣
フィリピの信徒への手紙 4章10節-13節パウロは、今日の箇所から、その献金に対する感謝を述べ始めています。パウロの手紙の文面からすると、どうやらフィリピ教会からの献金がしばらく滞っていたようです。当時の牢獄の食事は、非常に貧素で、差し入れ…
福音的生活
フィリピの信徒への手紙 4章8節-9節今日の箇所には、クリスチャンらしい実生活を送っているならば、その生活の中に神様は共にいて、私たちの生活を平安で満たして下さる、と教えてくれています。では、クリスチャンらしい実生活とは、いったいどう…
思い患いから平安へ
フィリピの信徒への手紙 4章6節-7節今日の箇所でパウロは「思い煩うのはやめなさい」と勧めました。これは、実際に大きな心配事を抱えている人にとっては、少々腹立たしい言葉に聞こえるのかもしれません。「どうして、そんな呑気なことが言えるの…
主は近くにおられる
フィリピの信徒への手紙 4章4節-5節パウロは今日の5節のところで、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。」と勧めました。この「広い心」という言葉は、原文では非常に深い意味をもつ言葉が用いられています。パウロは、他の手…
キリストにある一致
フィリピの信徒への手紙 4章2節-3節今日の御言葉は、フィリピ教会の中で起こっている争いを解決するために、パウロが書き記した勧めの言葉です。争い合っていた二人は、エボディアとシンティケという婦人たちでした。 3節のところでパウロは、ある…
本国は天にある
フィリピの信徒への手紙 3章15節-4章1節今日の箇所でパウロは、キリストを信じる者たちの生き方を、このように言い表しました。「わたしたちの本国は天にある」と。「私たちの本国は天にある」、この御言葉は、ある時には、私たちに警告を与え、またあ…
教会の土台
コリントの信徒への手紙一 3章10節-15節教会の土台は十字架と復活のイエス・キリストです。しかし、たとえその土台の上に建物を建てるにしても、それを何によって建てるかによって、その建物の姿は随分と変わってきます。ですから、私たちは自分の人生…