日曜朝の礼拝「平和をもたらす王」

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平和をもたらす王

日付
説教
吉田謙 牧師
35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。38 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」
ルカによる福音書 19章28-40節

何故イエス様は、王として、王の都エルサレムに入城される時に、わざわざロバの子に乗って入城されたのでしょうか。ロバの子に乗って、エルサレムの町に入って行かれる救い主。これは、どう考えてみても、パッとしません。この感覚は、どうやら当時も同じだったようです。「ロバ」というのは、この当時も、あまり格好いい存在ではありませんでした。それどころか、当時、この「ロバ」という言葉は、「愚か者」の代名詞として用いられていたようです。「彼はロバみたいな男だ」と言うと、頭が悪くて値打ちがない男を意味していた、と言われます。イエス様は、そういう「ロバ」に乗って、とことことエルサレムの町に入って行かれたのです。しかも、この時は過越の祭の直前でしたから、エルサレムの町は、巡礼にやって来る人々でごったがえしていました。こういう時には、二百万人以上の人々が集まった、とも言われています。そういうところに、「そこのけ、そこのけ」と大声で大勢の軍隊を引き連れて、軍馬に乗って颯爽と登場したというのではなくて、イエス様はロバの背中にちょこんと乗ってやって来られたのです。何とも滑稽な姿です。けれども、このロバに乗ってエルサレムに入城する王様こそが、本当は旧約の時代から預言されてきた真の王様の姿なのでした。旧約聖書のゼカリア書にはこういう預言の言葉が記されています。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。」ゼカリア書9章9節以下の御言葉です。

 この預言がなされた時には、王様は馬に乗ってやって来るのが普通でした。けれども、ゼカリアは、敢えて「王様がロバに乗ってやって来る」と語ることによって、来るべき王様の特別な性格を示そうとしたのです。では、ロバに乗ってやって来る王様とは、どのような王様でしょうか。

 ロバの特徴は、まずその背の低さにあります。馬に比べてロバは背が低いのです。逆に背の高い馬に乗った王様は、高い所から人々を見下ろす王様、力で人々を支配する王様を意味しています。しかし、来たるべき王様は、背の低いロバに乗り、私たちと同じ高さに立ってくださる王様です。上から目線で私たちを見下ろすのではなくて、私たちと同じ目線に立ち、私たちの友となって下さる王様。力ではなくて、愛によって私たちを治めてくださる王様であります。

 第二に、足ののろさもロバの大事な特徴でありましょう。それに対して馬は足が速いのです。王様が乗る馬というのは、その中でも一番足が速い馬なのだと思います。その王様に従うためには、自分もまた足の速い馬に乗っていなければなりません。王様についていくだけの力をもった者だけが、その王様に従うことができる。けれども、ロバに乗った王様は、歩みの遅い者、たとえば子供や、婦人や、老人や、障害者や、そういった力の弱い者と歩みを合わせて歩むことができる、そういう王様であります。

 第三に、ロバは日常的な荷物を運んだり、農作物を運んだり、要するに平和の目的のために用いられます。それに対して馬に乗った王様は戦の大将なのです。敵をやっつける王様であります。しかし、テロに対する報復がさらなるテロを生み出し、それがまた新たな戦争を引き起こしている今の世界情勢を見れば分かるように、馬に乗って戦をする王様は、決して平和をもたらすことはできません。

 ロバに乗った王様は、戦争はしません。では何をするのかと言うと、荷を負うロバのように、人の重荷を負うのです。では人間にとって最も大きな重荷とは何でしょうか。それは人間の心の奥深くにこびり付いている罪であります。この罪のゆえに、人間は神様に敵対し、絶望の中を生きざるを得なくなってしまいました。この罪のゆえに、憎しみ、自己嫌悪、貪欲、傲慢、虚栄に翻弄されながら、絶え間ない争いの中を生きざるを得なくなってしまったのです。そこに平和をもたらすためには、馬に乗った王様ではなくて、ロバにのった王様こそが必要でした。人の罪を責め、断罪する王様ではなくて、罪の重荷をすべてご自分の身に負い、人を赦す王様こそが、私たちに平和をもたらすまことの王様なのです。

 「このようなロバにのった王様こそが、あなたの王様なのだ」とゼカリアは預言しました。そしてイエス様は、将にこのゼカリヤが預言したようなロバに乗った王様として、エルサレムに入城なさったのです。これは単なるパフォーマンスではありません。これまで学んできたイエス様のご生涯を省みるならば、イエス様こそ将にロバに乗った王様であったことがよく分かると思います。イエス様は、人々から見捨てられたような者たちの目線に立ち、彼らを励まし、彼らをご自分の友として下さいました。愚かで迷いやすい者たちを決して見捨てることなく、最後の最後まで忍耐強く導き続けて下さったのです。そして今、それらを完成させるために、即ち人の罪を全部背負い、十字架という重荷を担って死なれるために、ロバに乗ってエルサレムに入城なさったのです。

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