日曜朝の礼拝「わたしを愛しているか」

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わたしを愛しているか

日付
説教
吉田謙 牧師
17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
ヨハネによる福音書 21章15節-19節

 復活のイエス・キリストは、湖の岸辺で、朝の食卓の準備を全て整えて、弟子たちを迎えて下さいました。そしてその食事の後で、ペトロに対して、「わたしを愛しているか?」と三度もお尋ねになったのです。ペトロはその都度、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えました。そういうことが三度も繰り返されたのです。この時のイエス様の三度の問いかけには、特別な意味がありました。それは、あの18章のペトロの裏切りの物語に関係しています。イエス様が捕えられ、大祭司の屋敷に連行された時に、そこで様子を伺っていたペトロは、周囲の人々から「お前もあのイエスの弟子ではないのか」と問いただされました。その時にペトロは、「いや、違う」と三度もイエス様との関係を否定してしまったのです。そうやってイエス様のことを三度も「知らない」と否んでしまったペトロに向かって、今日の箇所でイエス様は、三度「わたしを愛しているか?」と問われたのです。これは、ペトロが疑わしいので、念入りに確かめた、ということではありません。イエス様は、ペトロの愛を疑っていたのではなくて、このように三度問いかけることによって、ペトロから「あなたを愛しています」という答えを三度引き出そうとなさったのです。このことによってペトロは、イエス様との関係を否定する言葉を、まるで一つひとつ上(うわ)書(が)きするかのように言い直すことが出来たのでした。こうしてイエス様のことを三度「知らない」と言ってしまったペトロは、今や三度イエス様のことを「愛しています!」と言うことが出来たのです。そして、このことを通してペトロは、もう一度、イエス様を愛し、従っていく者として新しく生き始めることができたのでした。

 ところがペトロは、イエス様から三度も「わたしを愛しているか」と問われた時に、「悲しくなった」と言われています。この「愛しているか」というイエス様の問いかけは、本当は恵みの問いかけでした。ペトロも、そのことはよく理解できたと思います。では何故ペトロは悲しくなったのでしょうか。おそらく、この時、ペトロは、「愛しています」と答えながら、それを証明できない自分の罪深さを思い、悲しかったのではないかと思います。イエス様を裏切る前のペトロなら、「主よ、私たちは何もかも捨ててあなたに従ってまいりました!」と、イエス様への愛を誇らしげに語ることも出来ました。「主よ、私はあなたのためなら命をも捨てます!」と豪語していたことさえありました。以前のペトロは、自分の行いを通して、イエス様への愛を表すことが出来る、と思い込んでいたのです。けれども、今は違います。ペトロは、つい最近、イエス様を裏切ったばかりでした。マタイによる福音書によると、ペトロは、あの裏切りの場面で、イエス様を見ながら、「あんな男など知らない」と呪いの言葉を口にしながら誓った、とさえ言われています。もう、ペトロには「これを見て下さい。これを見たなら私の愛が分かるでしょう!」と言えるものが何一つ無かったのです。ペトロが言えたのは、ただ「私の心の中をご覧ください!」ということだけでした。自分の生活が証しになっていない。イエス様を愛している証拠が何一つ無いのです。けれども、ペトロの内には、復活のイエス・キリストと再び出会うことによって、あの最初の信仰、最初の愛が、確かに回復していたのでした。今は、確かに愛しているのです。しかし、それを証明することが出来ません。「あなたはわたしの心をご存じですから、どうかこのわたしの心の中をご覧ください!」この時のペトロには、このように言うことしか出来なかったのです。ですから三度目にイエス様から「わたしを愛しているか?」と問われた時に、本当に悲しくなったのだと思います。「あれをしました!」「これをしました!」と何か証明するものがあればよかったのですが、まだそれが一つもありません。「主よ、あなたは何もかもご存じです。どうか、今までの失敗の歩みだけを見ないでください。今の私は以前の私とは違います。あなたを本当に心の底から愛しています。しかし、まだその証拠がありません。どうか私の心をご覧ください!」これがペトロの正直な思いでした。

 こういうペトロに向かってイエス様は、「私の羊を飼いなさい」と言って下さいました。これは本当に嬉しい言葉ではないかと思います。「今日からあなたは私が愛している私の羊の世話をしなさい。そして、このことを通して、これからあなたは、私への愛を鮮やかに表すことになるだろう!」と主は励まして下さったのです。「こんなに大きな失敗をしたなら、もう取り返しがつかない。こんな欠けだらけの自分の愛では、一生涯、イエス様への愛など表すことが出来ないのではないか?!」とペトロは思っていました。けれども、本当はそうではなかったのです。「あなたも立ち直れる。立ち直ったなら、あなたと同じように倒れ伏している私の羊に、手を差し伸べなさい。神の言葉を聞かせなさい。『あなたも立ち直れる』と力づけてあげなさい。あなたが羊飼いとなって、私の羊を飼うように。そうやって、あなたは私への愛を表わしなさい!」主は、悲しむペトロをこのように励まして下さったのです。そして、実際にこの後ペトロは、立ち直り、自分に託された者たちの魂のお世話をする者として、命をかけて教会に仕え続けました。そして最後には、委ねられた羊を命懸けで守り、殉教の死を遂げたのでした。

 私たちも、「わたしを愛しているか?」とイエス様から問われる時に、様々な欠けを思い、恥じ入る他はありません。けれども主は、そういう私たちであっても、なお「わたしを愛しているか?」と問い続けて下さいます。まだ、その実りが一つも見えない時に、私たちの心の奥底まで見抜かれながら、「ほら、ここにこんなに愛があるではないか?!」と探し出して下さるのです。ですから、今はまだ何も出来ていなくても大丈夫です。イエス様に対する愛が少しでもあるならば、私たち一人一人に相応しい、イエス様への愛を表す道筋を、きっとイエス様が備えていて下さるでしょう。

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