日曜朝の礼拝「実り豊かな人生」

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実り豊かな人生

日付
説教
吉田謙 牧師
4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。葡萄の枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5 わたしは葡萄の木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
ヨハネによる福音書 15章1節-8節

 イエス様は、「わたしは葡萄の木、あなたがたはその枝である」(5節)と言われました。つまりイエス様は、ご自分を葡萄の木に譬えられながら、私たちイエス様を信じる者たちは、その葡萄に繋がる枝である、と教えられたのです。

 まず私たちは、ここで「つながる」と訳されている言葉に注目しなければなりません。これはヨハネが大好きな言葉なのです。「とどまる」とか「泊まる」とも訳される言葉で、これは、どんな時でも離れないという密接な結びつきを言い表している言葉です。雨が降ろうと、嵐が来ようと、枝が木から離れることはありません。キリストと繋がるというのは、そういう特別な関係に入ることなのです。枝が木につながっているならば、栄養分は全て木から流れ込んできます。それと同じように私たちがキリストに繋がっているならば、キリストの恵みがキリストを通して絶え間なく私たちのもとに届いてくるのです。寂しい時でも悲しい時でも、様々な問題を抱えている時でも、キリストがいつも私たちに向かって語りかけて下さり、十字架の愛で私たちを包み込んで下さいます。「天地万物を造られた神様が全力を尽くしてあなたを救いたいと願っておられる。そのために神様は、ご自分の独り子を十字架につけて下さった。あなたの命はそれほどまでに尊い命であり、あなたという人間は、それほどまでに神様から愛されている。あなたは神様に愛されるために生まれた。あなたは世界でたった一人しかいない、決して失われてはならない、掛け替えのない大切な大切な存在なのだ!」こう主は語りかけて下さるのです。この主の言葉が私たちの内にずっととどまり、響き渡っている。決して無くなることがない。これがここで「つながる」という言葉で言い表されているイエス様と私たちとの深い結びつきなのです。

このように私たちがイエス様にしっかりと繋がることはとても大事なことなのです。けれども、それ以上に私たちは、イエス様の方が私たちにしっかりと繋がっていて下さることを深く心に刻まなければなりません。何故ならば、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」(4節)と言われているからです。私たちの信仰は、いつもいつも絶好調で、熱く燃えているわけではないのです。時には萎えてしまうこともある。所詮、私たちの側の繋がる力は弱いのです。もう駄目ではないか、もう幹から切り離されてしまうのではないかと、しばしば私たちは落ち込んでしまうことがあるのです。けれどもイエス様の側では、凄まじい力をもって私たちと繋がっていて下さいます。私たちがどんなに落ちぶれても、なお十字架の愛で愛し抜いて下さいます。自らの肉を裂き、血を流して、私たちをご自身に接ぎ木なさったのです。そんなに大きな犠牲を払ってまで接ぎ木して下さった私たちなのですから、簡単にお見捨てになるはずがありません。イエス様は、ただ私たちにつながっていることを求められただけではなくて、「わたしもあなたがたにつながっている」と約束して下さったのです。

 枝は、自らの努力と能力で実を結ぶわけではありません。キリストが「わたしもあなたがたにつながっている」と言って下さるならば、もう私たちは自らの成長と実りについても、何一つ心配する必要はないのです。何故ならば、幹につながった枝が成長し、実を結ぶのは、自然なことだからです。5節のところで、「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と言われている通りです。

 人生が実り豊かになるようにと願いながら、人は死にものぐるいになって努力して生きています。何時間も働き、何時間も様々な練習をし、あるいは何時間も勉強して、また色んな人に気を使い、沢山のことをこなしながら、何とかして実り豊かに生きたい、と願って生きているのです。けれども、実り豊かに生きるというのは、本当はそんなことで実現できるものではありません。

 今日の御言葉を注意深く読んでみると、イエス様は、私たちに「わたしにつながりなさい」と命じられましたが、「実を結びなさい」とは命じられていないことが分かります。むしろ、イエス様は、「私につながっているあなた方は豊かな実を結ぶ!」と約束して下さったのです。

 理想を抱いて自分の人生を出発した私たちですが、その願いどおりに人生を歩めた人は、殆どいません。理想の家庭を築こうと結婚したはずなのに、そこで築いてきた家庭は理想とは程遠いものです。理想の子供に育てあげようと必死で子育てに励んできたはずなのに、成長した子供は自分の思いや願いとは全く違う人間になってしまった。夢や理想を抱いて仕事や学びに励んできた人の中で、それを実現できた人は、ほんの僅かでありましょう。そんな中で私たちは、人の成功を羨みながら、卑屈になったり、ひがんだりするのです。また、たとえ人が羨むような成功をおさめたとしても、すぐに私たちは有頂天になり、天狗になってしまいます。こんな私たちでは、到底、実り豊かに生きることなど出来ないのではないか、と私たちは、ついつい考え込んでしまいます。けれども、それは大きな勘違いなのです。イエス様の言われる実りというのは、そんなに難しいことではありません。死にものぐるいになって何時間も働き、何時間も勉強して、色んな人に気を使い、沢山のことをこなしていかなければ得られない、そんなことではないのです。私たちの側で出来ることは、ほんの僅かでありましょう。それでいいのです。その中心をしっかりとおさえていさえすれば、それでいい。では、その中心とはいったい何でしょうか。それは、極々単純なことです。キリストの語りかけに耳を傾け、祈ることです。そうやってキリストの枝として命を通わせているならば、後は全部キリストの側で整え、手入れをして下さいます。必ず豊かに実らせて下さるはずなのです。

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(5節) 今日、私たちはこのイエス様の約束の言葉を深く心に刻みたいと思います。

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