日曜朝の礼拝「共におられる聖霊」

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共におられる聖霊

日付
説教
吉田謙 牧師
16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。
ヨハネによる福音書 14章15節-17節

前回学んだ13節のところでイエス様は、「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。」と約束して下さいました。私たちが願うこと、即ち、私たちの生き様を通して、神様の素晴らしさを表したいという私たちの願いを、イエス様がかなえて下さる、と言われていたのです。ではイエス様は、どのようにして、それをかなえて下さるのでしょうか。それが今日の箇所の中心テーマなのです。今日の16節のところでイエス様は、「あなた方に聖霊を送って下さるように、私が父なる神様にお願いしよう!やがてその聖霊があなた方の内側で働き、神様がどのようなお方であるかを、あなた方を通してあらわすことになるだろう!」と約束して下さったのでした。

 ここでは、この聖霊のことが「別の弁護者」と言われています。「別の」ということは、もう既に、今、弁護者はいるということでしょう。そしてその弁護者とは、ほかでもないイエス様のことなのです。しかし、イエス様はもうすぐこの弟子たちの前から去って行かれます。弁護者であるイエス様がいなくなれば、弟子たちはたちまち困ってしまうでしょう。そこでイエス様は、「別の弁護者である聖霊を遣わそう!」と約束して下さったのです。

 この「弁護者」と翻訳されている言葉は、実はどのように翻訳すればよいのかよく分からない、とても難しい言葉なのです。ある注解書は、「この言葉を正確に翻訳することはできない!」とまで言い切っています。また、ある英語の翻訳では、翻訳できる言葉がないために、ギリシャ語原文をそのままに書き写しているものまでありました。この言葉は、原文では「パラクレートス」というギリシャ語なのですが、「パラクレートス」という新しい英単語を作ってしまうほどに、この言葉は翻訳困難な言葉なのです。本来、この「パラクレートス」という言葉は、「すぐ横に呼び出された方」という意味の言葉です。裁判において、借りに私が被告人席に立つとするならば、そのすぐ横に立つのは弁護人です。私たちが神様の前に立つ時に、イエス様は弁護人として私たちの横に立ち、弁護して下さるのです。それで、この言葉を「弁護者」と新共同訳聖書は翻訳したのでした。けれども、横に立つというのは何も弁護人だけではありません。この「パラクレートス」という言葉の意味を本当によく理解するためには、実際にこの言葉が用いられている箇所を読んでみなければなりません。ヨハネによる福音書15章26節には、こう言われています。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。」

 私たちがイエス様のことを証しする時に、その横にいて一緒に証しして下さるのが聖霊なのだ、とここでは言われているのです。

 また16章7節のところには、こう言われています。「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」

 ここでは「世の誤りを明らかにする」と言われています。ここで言う「世」というのは、私たちに敵対する世です。私たちが一所懸命に「イエス様は救い主です。神様はあなたのことを愛しておられますよ!」と語りかけても、「そんなことは信じられない。何をバカなことを言っているのか?!」と世は反対するのです。ところが聖霊は、その私たちのすぐ横に立ち、世の誤りを明らかにして下さいます。そして反対していた人たちが、「どうも自分たちの方が間違っていたのではないか」と気づくようにして下さるのです。これが横に立つお方です。確かに弁護者に近いのですが、それだけではやはり言い表せません。前の翻訳では「助け主」と翻訳されていました。それぐらい広い意味の方がよいのかもしれません。横に立って、ある時には私たちを弁護し、ある時には私たちと一緒に戦い、またある時には私たちと一緒に証しして下さるのです。

また、17節のところには「この方は、真理の霊である」と言われています。このお方は、私の傍らに立って私の弁護をし、一緒に戦い、一緒に証しして下さるだけではなくて、私自身に真理を教えて下さるお方である、と言うのです。この「真理」という言葉は、人生の真理と言い換えることも出来るでしょう。この真理を知れば、今まで知らなかった自分の本当の姿が見えてくるのです。聖霊は、私たちの心の目を開き、私たちにその真理を教え、私たちの本当の姿に気づかせて下さいます。

 また、この聖霊というお方は、16節の終わりにあるように「永遠に私たちと一緒に」いて下さるお方です。地上におられたイエス様のように、途中で姿を消してしまわれることはありません。永遠に一緒にいて下さいます。このお方は、「パラクレートス」「すぐ横に呼び出されたお方」です。誰が呼び出されたのでしょうか。真理そのものであるイエス・キリストの霊、聖霊なる神様です。このお方が私たちの傍らにいて、私たちの心に呼びかけて下さいます。この呼びかけによって、私たちは御言葉を心に響かせながら、神様の愛を味わい、永遠にこのお方と一緒に歩み続けることが出来るのです。ある時には、大きな壁にぶつかり、信仰が萎えてしまうこともあるのかもしれません。けれども、たとえそんな時であっても、このお方はずっと一緒にいて下さいます。私たちと一緒に戦い、もがき苦しむ私たちに真理を教え、また神様には執り成して下さるのです。やがて私たちが死んで神様の審きの前に立たされる時にも、このお方は私たちの傍らにいて、そこで私たちの弁護をして下さいます。私たちは、まだそのことに気づいていないのかもしれません。しかし、もう既に私たちはこのお方と共に歩み始めているのです。

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