日曜朝の礼拝「心を騒がせるな」

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心を騒がせるな

日付
説教
吉田謙 牧師
1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
ヨハネによる福音書 14章1節-3節

 この「心を騒がせるな」という御言葉は、直前の13章の終わりの出来事を引き継いでのお言葉です。13章の終わりのところでイエス様は、ご自分がもうすぐ十字架の上で死なれることを明らかになさいました。「私は、もうすぐ死んで父なる神様のもとに戻って行く。そして、父のもとに戻って行く私に、あなた方はついて来ることが出来ない!」このようにイエス様は弟子たちを諭されたのです。弟子たちにとって、このイエス様のお言葉は、本当に心騒ぐお言葉ではなかったかと思います。これまで、ずっとイエス様を慕い、イエス様と一緒にここまでやって来た弟子たちです。それなのに、ここぞと言う時に、弟子たちはみんなついて行くことが出来ない、と主は告げられたのです。けれどもイエス様は、そうやって弟子たちを突き放されただけではなくて、その後で、本当に慰め深い言葉を語りかけて下さいました。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と。「あなた方は私について来ることは出来ないが、それでも私のことを信じてさえいればそれでいい!」と主は言われるのです。何故でしょうか。2節の後半には、こう言われています。「もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」

 ここで注目すべき点は、イエス様が「あなた方のために場所を用意しに行く」と言われた点です。これからいよいよイエス様は、十字架にかかられ、天に昇って行かれます。その時にイエス様は、「私はあなた方のために、天に場所を用意しに行くのだ!」と言って下さったのです。では、イエス様はどうやって、その場所を用意して下さるのでしょうか。何よりもイエス様は、このすぐ後に十字架にかかり、私たちの罪を全部背負って死んで下さいました。私たちが天国に入るためには、やはりこのままでは駄目なのです。私たちの罪が全部赦される必要があります。そのためにイエス様は、私たちの身代わりとなって、神様の怒りと呪いを全部引き受け、十字架の上で死んで下さったのです。これが、「天に私たちのための場所を用意しに行く」とイエス様が言われた一つ目のことでした。

 またイエス様は、十字架の上で死なれた後に、復活し、天に昇られて、天から聖霊を送って下さいました。聖霊が私たちの心に働き、私たちの内に今、信仰が起こっているのです。よくよく考えてみると、私たちに信仰が与えられたというのは、本当に不思議なことですね。将に奇跡的なことでしょう。これは、やはり聖霊が私たちの内側で働いておられる証しではないかと思います。聖霊が働いて下さらなければ、イエス様の十字架を信じる信仰が私たちの心に芽生えるはずがありません。聖霊が働いて下さらなければ、一端信じ始めた信仰を、紆余曲折を経る中で、今も保ち続けることなど到底不可能でしょう。このようにイエス様は、聖霊を送って下さることによって、私たちの天国への道筋を整えて下さるのです。

 またイエス様は、今、天で、私たちの身に起こる全てのことを支配しておられます。毎週、私たちがこの礼拝の中で告白している使徒信条が、そのことをよく言い表しているのではないかと思います。「イエス様が三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座しておられる!」この文章です。「父なる神の右に座しておられる!」これは、イエス様に父なる神様と同じ権威が与えられている。神様の支配がイエス様に委ねられた、という意味です。つまり、私たちの身に起こり来る嬉しいことも、悲しいことも、全部イエス様が天で支配しておられる、ということです。

 私たちの人生には「神様、どうしてですか?!」と問いたくなるようなことが、しばしば起こります。私たちにはその意味がさっぱり分からないのです。けれども、そんな中にあっても、ただ一つだけ言えることがあります。それは、どんなに悲惨な出来事がふりかかってきたとしても、それが神様に見捨てられたしるしではない、イエス様に見捨てられたしるしではない、ということです。今は、苦しみは苦しみでしかないのかもしれません。悲しみは悲しみでしかないのかもしれません。「しかし、あなたを愛している私が、あなたを滅びるままにしておくはずがないではないか?!やがて全てのことが相働いて必ず益となる!」(ローマ8章28節)。これがイエス様の約束です。その時には分からなくても、あの時の苦しみがあったからこそ今の私がある。私たちには、それぞれにそういう経験があるのではないでしょうか。イエス様は、そういう仕方で私たちの信仰を少しずつ練り清め、神様のもとに行く道筋を整えて下さるのです。

 イエス様が今日の箇所で、「天に私たちのための場所を用意しに行く」と言われたのは、具体的には、そういうことでした。即ち、十字架によって私たちの罪を洗い清め、聖霊を送って私たちに信仰を芽生えさせ、私たちの身に起こる全てのことを支配して、私たちの信仰を練り清めて下さるのです。

 3節。「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」これは、本来、世の終わりにイエス様がもう一度来て下さる時、即ち「イエス様の再臨」の時のことを語っている御言葉です。しかし、この御言葉は葬儀の時にもよく読まれる御言葉であり、私たちが死ぬ時にも当てはめることの出来る御言葉ではないかと思います。私たちが天国に入ることが出来るように、私たち自身のことを充分に備え、準備して、それが出来たなら私たちを迎えに来て下さる、と言うのです。こちらの方の用意はなかなか思うようにはいきません。けれども、イエス様が迎えに来て下さるということは、神様の側では既に用意が出来ているということです。ですから私たちは、心を騒がせなくてもよいのです。

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