日曜朝の礼拝「死に打ち勝つ声」

日本キリスト改革派 吹田市千里の教会ホームページへ戻る

死に打ち勝つ声

日付
説教
吉田謙 牧師
38 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。・・・43 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。44 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
ヨハネによる福音書 11章38節-44節

 今読み進めております11章には、イエス様が死んだラザロを生き返らせて下さった、という奇跡物語が記されています。いよいよ今日、その結びの部分を学ぶことになります。この福音書を書いたヨハネは、今までもそうであったように、人々がアッと驚くような物語を伝えたいわけではありません。この奇跡を語ることでヨハネは、読者たち皆が受けとめなければならない大切なメッセージを伝えようとしているのです。

 イエス様は「死の力」に対して憤り、ラザロを生き返らせて下さいました。「死」はイエス様にとっても敵であり、信じる者たちになお悲しみをもたらす悪しき力です。イエス様は、そういう「死の力」に対して憤られ、やがてその「死の力」を完全に打ち破るお方であることを、ここではっきりと表されたのでした。これは、やがてイエス様が「死の力」を完全に打ち破って下さる世の終わりのことを指し示す「しるし」です。今、私たちは、愛する者が死んだ時に、やはり悲しみの中に沈み込む他はないのだと思います。愛する者が死んだ時に、それを喜ぶことなど私たちには到底できません。

 この時、ラザロを捕え、その姉妹たちを悲しみのどん底に突き落とした死の力は、今、新型コロナウイルスを用いて私たちを脅かしています。全世界で、今、約586万人もの人々が実際に命を奪われ、今もその数は日に日に増え続けているのです。実際に病気を発症しなくても、恐れや不安が私たちの心を捕え、ストレスを引き起こし、積極的に人と関わる思いを萎えさせています。このウイルスによって、人と人との交わりが分断されているのです。これらは全て、死の力の支配の現れと言えるでしょう。しかし主は、そのような私たちの苦しみや嘆きや悲しみをちゃんとご存じです。そして、私たちと共に涙して下さいます。また、それだけではなくて、私たちを捕え、苦しめ、絶望に引きずり込んでいる死の力に対して激しく憤り、その死の力と戦い、勝利して下さるのです。このラザロの物語は、そのことを私たちに告げている物語です。

 また今日の箇所でイエス様は、「大声で叫ばれた」と言われています。この「大声で叫ぶ」という言葉がイエス様に用いられているのは、今日の箇所だけなのです。それだけ目立つ言葉として、この言葉はここに記されているということでしょう。この大声で叫んだキリストの御声によって死んだ者が生き返ったのです。

 「キリストの御声を聞く者は、死から命に呼び出される。」これは、このヨハネによる福音書においては、以前にも一度語られていたことでした。「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」ヨハネによる福音書5章25節の御言葉です。「死んだ者が神の子の声を聞く時がやってくる。今がその時であって、その声を聞く者は生きる。」これはまるで今日の物語をなぞったかのような御言葉ですね。この5章25節で言われていたことは、「今やその時である」と言われるように、今という時にキリストの御声を聞く者は死んでいても生きる。つまり、これは肉体的な死のことではなくて、魂の死の問題、霊的な死の問題についてのお言葉でした。「霊的に死んでいる人間であっても、神の子の声を聞くならば生きる」と教えられていたのです。今日のラザロの物語は、この霊的な事柄を目に見える仕方で表した奇跡物語でした。

 私たちにも、こういう霊的に落ち込んでしまう時が、しばしばあるのではないかと思います。喜びも感謝もキリストへの忠実も、心の中で、なんとなくボンヤリとしてしまうのです。決して信じていないわけではありません。けれども、信じる魂がもつはずの命の輝きがぼやけてしまうのです。そういうことを私たちは、しばしば人生の谷間で経験することがあるのではないでしょうか。霊的な死の力も、やはり信じる者たちに働いているのです。死は最後の敵です。死んで四日も経ち、身体が腐りかけているこのラザロの姿は、霊的に死んでいる人の姿をよく表しているのではないかと思います。もう力が湧いてこないのです。だんだんに朽ちていき、やがては死の力が全てを支配するようになるのです。しかし、そのラザロに、キリストの大きな声が届いた時に、ラザロは生き返りました。「死んだ者が神の声を聞くならば生きる。」そのことが、こういう仕方で鮮やかに示されたのでした。キリストの御声が聞こえるならば、ラザロが生き返ったように、私たちも霊的な死の姿から生き返ることが出来るのです。

 そういうことを私たちは、今までにも何度も味わってきたのではないかと思います。信仰の喜びが失われ、力が奪われていく時に、それをそのままに放っておくならば、やがては霊的に死んでしまいます。生きる力も喜びも完全に失われてしまうのです。けれども、そういう時に、諦めずに家で聖書を読む時に、キリストの御声が聞こえてくることがある。この礼拝の席に座りながら、あるいはオンラインで、この礼拝に参加する時に、ここに生きておられるキリストが語りかけて下さることがあるのです。「あなたは、罪に汚れた自分自身に嫌気が差し、もう諦めかけているのかもしれない。喜びも、希望も、勇気もなく、力が湧いてこないのかもしれない。けれども私は、そんなあなたを愛して愛して止まない。あなたがどう思おうが、人がどう思おうが、私は決してあなたを見捨てない。私はあなたを愛している。あなたを救うために、私は十字架の上に命を捨てた。神の怒りや呪いは、もうあなたには向けられない。だから、死の力を象徴する石を、あなたの内側から取りのけなさい!もう臭いものに蓋をする必要はない!自らの罪、自らの汚れをしっかりと見据えて、それを私の十字架のもとに降ろすように。大丈夫!私が全部担った。墓の中は、あなたのいるところではない。安心して立ち上がりなさい。そして墓から出て来なさい。死の力から解き放たれて、のびやかに生きるように!」

 「ラザロよ、出てきなさい!」今も、力ある大声で呼びかけて下さる、このキリストの御声に耳を傾けましょう。

礼拝に来てみませんか?

千里摂理教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら06-6834-4257まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。