日曜朝の礼拝「なせ真理を拒むのか」

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なせ真理を拒むのか

日付
説教
吉田謙 牧師
44 あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。
ヨハネによる福音書 8章39節-47節

今日の箇所でイエス様は、イエス様の教えに反発し、イエス様を殺そうとするあなた方の父は悪魔なのだ、という非常に衝撃的な言葉を語られました。そもそも悪魔の目的とは、いったい何でしょうか。「悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。」と言われています。これは、旧約聖書の一番最初にある人間の堕落物語を指し示している言葉です。最初に造られた人間は、悪魔にそそのかされて、神様に背いてしまいました。この実を食べると「神のようになれるよ!」と甘い誘惑に誘われ、人間はこともあろうに神様の命令に背いてしまったのです。そのために人間は死ななければならない存在へと落ちてしまいました。これは悪魔の思う壺です。けれども神様は、人間に、もう一度、神様と和解する道を備えて下さいました。そのために、この地上に遣わされたのが、他でもない神の独り子イエス・キリストだったのです。この御子イエス・キリストの十字架のご生涯を通して、神様がどんなに私たちのことを愛しておられるか、またどんなに罪を忌み嫌っておられるかが明らかにされました。これまでぼんやりとしていた神様のお姿が、このイエス・キリストの十字架のご生涯を通して鮮やかに示されたのです。このイエス・キリストを信じ、受け入れ、従う時に、私たちに、もう一度、神様との和解の道が開かれていきます。そして、本来滅ぶべき私たちが、永遠の命へと導かれていくのです。ヨハネによる福音書3章16節のところには、このように教えられていました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 イエス・キリストを信じ、受け入れるならば、私たちはそれだけで永遠の命を得ることが出来ます。ですから、人を殺したいという悪魔の欲望は、私たち全ての者が、永遠の命から漏れる時に、決定的な仕方で実現するのです。そういうわけで悪魔は、私たちが永遠の命からもれるように、真理そのものであるイエス・キリストから人を引き離そうと、やっきになっているのです。

 45節のところに、「しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない」というイエス様のお言葉があります。これは本当に不思議な言葉ですね。「真理を語っているのに、あなた方は私を信じない」と言うのではありません。「真理を語っているから、あなた方は私を信じない。」と言うのです。「この天の上には、目には見えなくても、私たちのことを本当に愛しておられる神様がおられる。そのお方は御子を十字架につけるほどに、私たちのことを愛し抜いておられる。私たちの有り様には全く関係なく、私たちが敵であった時から私たちをあるがままで受け入れ、私たちの存在そのものの輝きを見つめ続けて、愛して愛して愛し抜いて下さった。そして、この愛は永遠に変わることがない。死の後もその死を突き抜けて、このイエス・キリストの父なる神は永遠に私たちを愛し抜いて下さる!」こういう真理を受けとめ、自分の人生を見直してみるならば、自分の人生が見違えるほどに変わっていくはずなのに、真理を語るから信じない。本当に不思議なことです。どうしてそうなるのかはよく分かりません。結局、そこには理屈に合わない力が働いているとしか言いようがないのです。不条理な力が働いている。このことをイエス様は、「悪魔が父である」と説明なさいました。「あなた方は悪魔を父としているので、このことを受け入れることが出来ない!」と主は言われるのです。

 これは、一見すると、完全に見捨てたかのような言葉に聞こえるのかもしれません。しかし、本当はそうではないのです。「あなた方の父は悪魔である!」確かにこの言葉は衝撃的な言葉でしょう。出来るならば聞きたくなかった。そう思われている方も中にはいらっしゃるかもしれません。けれども、イエス様は、このことをどうしても語らなければならなかったのです。何故でしょうか。それは、私たちの命にかかわることだからです。「いい加減な生き方をしていてはいけない。それでは滅んでしまうではないか?!私のもとに来て、命を得るように!」とイエス様はここで必死で招いておられるのです。

 結局、「悪魔が父である」というのは、先週学んだ「罪の奴隷である」ということと同じことを言い表しています。罪の奴隷から解き放たれるためには、どうすればよかったでしょうか。それは、イエス様の御言葉にとどまり続けること。御言葉が常に響き渡るような生活をする、ということでした。イエス様は今も生きて働いておられるお方です。このお方のことを知るには、やはりいつも一緒にいることが大切なのです。人格的な影響は一緒に過ごすことによって、徐々に及んでいくものでしょう。私たちはそのようにイエス様と一緒に過ごすことによって、少しずつ、イエス様に似る者へと変えられていくのです。

 逆に、イエス様を拒む生活を続けていくことは、悪魔の思う壺であり、結局、それは悪魔の虜になり、悪魔と一緒に過ごすことになるのです。悪魔は堕落した天使と言われます。悪魔も人格的な存在なのです。ですから、悪魔と一緒に過ごし続けていると、本当に恐ろしいことですが、私たちは悪魔そっくりの人間になっていきます。イエス様は、そうならないために、ここで厳しく悔い改めを迫り、救いへと招かれたのでした。「どうか、私の真理の言葉に留まり続けて欲しい!そうすれば、あなた方も悪魔の子ではなくなる。本当の意味で神の子になれる。どうか、私の言葉を聞いて欲しい!立ち返って永遠の命に生きるように!」と。

 たとえ今、愛する者たちがイエス様を拒み、イエス様に敵対し、悪魔の虜になっていたとしても、それがそのまま救われない「しるし」ではありません。みんな神様に招かれているのです。たとえ今、神様から遠くにいようと、神様の愛は何ら変わりません。去っていく人。とどまる人。帰ってくる人。今、迷っている人。みんな同じ神様が愛する子供たちです。一人一人が帰ってくるのを、イエス様は大きく大きく腕を広げて待っていて下さいます。大きく大きく腕を広げて、十字架の上で私たちの身代わりとなって命を捨てて下さった。その大きな愛で、私たちを今も包み込んで下さるのです。この大きな愛で包み込んで下さる神様に、自分自身と愛する者たちを安心して委ねていきましょう。

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