日曜朝の礼拝「わたしは決して追い出さない」

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わたしは決して追い出さない

日付
説教
吉田謙 牧師
37 わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。38 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。39 わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。40 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。
ヨハネによる福音書 6章34節-40節

この「追い出す」という言葉は、よくイエス様が譬え話の中で、「外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」という時に使われる言葉です。ですから、この「追い出す」という言葉には、「滅びへと捨ておかれる」という意味が込められているのです。

 「私はイエス様のことを信じたいと思うけれど、まだあのこと、このことが気に掛かり、今一つ踏み出せない。こんな私は救いから漏れているのではないか?!」と心配される求道者の方がおられます。あるいは、既に洗礼を受けておられる方であっても、「自分の心の内側を見つめて、こんなことでは救われないのではないか。本当は自分は神様から選ばれていないのかもしれない!」と不安を覚える方も、きっと大勢いらっしゃると思います。けれども、そういう心配は一切無用です。「私のもとに来る人を、私は決して追い出さない。私はその人を決して滅びるままにしておかない!」と他でもないイエス様が約束して下さるのですから。

 大学受験や就職試験は、大学や会社の求める水準に、その人の学力や品性が達しないと合格は出来ません。あの大学に入りたい!あの会社で仕事をしたい!そういう熱意だけでは駄目なのです。実力が伴わなければ、受け入れてもらえません。けれども、信仰の道はそうではないのです。一所懸命信じたけれども、「あなたの信仰はまだ揺らいでいるから駄目です!天国には入れません!」そんなことは決してないのです。もうイエス様のもとに来るならば、それだけで父がお与えになった者として、イエス様は引き受けて下さいます。その人を決して滅びるままにしておかれません。最後まで責任をもって導いて下さるのです。これは本当に安心なことではないかと思います。

続く38節から40節までのところには、私たちをイエス様に与えて下さった、この父なる神様の御心について言及されています。イエス様は、自分の意志を行うためではなく、父なる神様の御心を行うために、この世に来て下さいました。そして、その父なる神様の御心とは、イエス様を信じる人を一人も失わないで、永遠の命を得させることなのだ、と言われているのです。この御言葉は、あの有名な3章16節の御言葉と響き合う御言葉ではないかと思います。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 神様は、ご自分の独り子をこの世に送り、十字架につけてまでも、この世界を救いたいと願われました。それほどまでに神様は、この世を愛されたのです。神様に敵対する世です。神様の愛を踏みにじる世であります。しかし、この「世」を神様は決してお見捨てになりません。今も、なお愛しておられます。これが神様の御心なのです。そしてイエス様は、この神様の御心を行うために、この世にやって来られたのでした。ここに私たちの希望があります。

 私たちは、人生の中で起こり来ることを、すべて理解し、納得できるわけではありません。なお、分からないことが沢山あります。特に理不尽な苦しみを味わう時に、私たちはしばしば「神様に見捨てられたのではないか!」と落ち込んでしまうことがあるのです。そんな中にあって、「神様は私たちを決してお見捨てにならない。一人も失うことなく、永遠の命へと導いてくださる!」と信じ抜くことは、大変に難しいことではないかと思います。けれども、私たちがどう感じようが、私たちが一人も滅びることなく、永遠の命を得ることこそが、この天地万物を創られ、今も統べ治めておられる天の父なる神様の御心なのです。そして、この神様の御心を行うために、御子イエス・キリストは、「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない!決して滅びるままにしておかない!」と命懸けで約束して下さったのでした。これは神様の御心であり、イエス様の約束ですから、どんなことがあろうと、決して揺らぐことがありません。必ず実現するのです。

 イエス様は、私たちの信じる力を調べ、終わりまで完走できるかどうかを試して、出来る人間だけを合格させる、と言われたのではありません。「私のもとに来る者を私は決して追い出さない!」と言われたのです。どんなに弱く、未熟な信仰であっても、信仰に入る決心さえするならば、イエス様が後は全部引き受けて下さいます。そして、決して見捨てることなく、最後まで責任をもって救いへと導いて下さるのです。「だから、安心して私のもとに来るように。私を信じ、永遠の命を受け取るように!」と主は私たちを招いておられます。

 大丈夫なのです。イエス様の約束は必ず実現します。今、目の前にある現実がどんなに暗く、絶望的であったとしても、私たちはそこから結論を引き出す必要はありません。いや、そこから「神様は私を見捨てられた!」と自分勝手に神様のことを思い描いてはならない。主なる神様は、御子を十字架に犠牲にするほどまでに、私たちのことを愛し抜いておられます。その神様が、みすみす私たちを滅びるままにしておかれるはずがあるでしょうか。必ずや、その苦難をも用いて、私たちを鍛え、練り上げ、大きく大きく成長させて下さるに違いありません。そして、最後には私たちを、責任をもって救いへと導いて下さるはずです。そのことを信じ、決して力を落とすことなく、それぞれの困難な現実に、希望をもって立ち向かっていきたいと思います。

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