日曜朝の礼拝「もっと偉大なことを見る」

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日付
説教
吉田謙 牧師
50 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降(くだ)りするのを、あなたがたは見ることになる。」
ヨハネによる福音書 1章43節-51節

 今日の箇所の中心は、ナタナエルという人の物語です。ナタナエルは、フィリポから「私は旧約聖書で預言されている救い主に出会った。そのお方はナザレの人で、ヨセフの子イエスだ!」とイエス様のことを紹介されました。しかしナタナエルは、「ナザレから良いものが出るだろうか」と言って、最初の内は、イエス様のことを認めようとしなかったのです。ところがフィリポは、諦めずに「来て、見なさい」「私と一緒にイエス様のところに来て、自分の目で確かめてみればいい。そうすれば、このお方こそ『まことの救い主』であることが分かるはずだ!」と言って、ナタナエルをイエス様のもとに連れて行ったのでした。ナタナエルがイエス様のもとに行くと、イエス様は、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」と言われました。「イスラエル人」とは、神の民、即ち、神様に従う者、という意味です。実際には、イスラエル人の中にも、神様に従わない人もいました。けれども、このナタナエルは、真実に神様に従う神の民であり、この人の内には偽りがない、とイエス様は断言されたのです。そこでナタナエルは、「どうして私を知っておられるのですか」と尋ねました。するとイエス様は、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われました。このイエス様のお言葉を聞いて、ナタナエルは、イエス様が救い主であることを悟った、と言うのです。ナタナエルがこの時、いちじくの木の下で何をしていたのかは分かりません。けれども、彼はイチジクの木の下で、自分以外には誰にも分からない真実な思いを、この時、味わっていたのでしょう。イエス様は、ナタナエルに「あなたには偽りがない」と言った後で、「イチジクの木の下のあなたを見たのだ」と言われました。ナタナエルは、その時にようやく悟ったのです。「このお方は私のことを本当に理解しておられる。私にしか分からないはずの深い真実を、このお方は確かに見ておられた。ナザレの出身者を軽蔑した愚かな私であるにも関わらず、そういう愚かさは責めることなく、この私の真実だけを見つめて下さった!認めて下さった!誉めて下さった!」ナタナエルは、このことに気づいた時に、「先生!あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です!」と告白したのでした。

 ところがイエス様は、続けてこう言われたのです。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。あなたは、もっと偉大なことを見ることになる。即ち、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのをあなたは見ることになるだろう」と。これは、旧約聖書の創世記28章10節以下の「ヤコブ物語」を下敷きにした言葉です。イスラエルの先祖のヤコブは、神様の祝福を兄エサウと競い合い、策略に策略を重ねて、ついに兄のエサウから命をつけ狙われることになってしまいます。その結果、彼は、自分の家を出て、荒野を旅することになりました。その孤独な旅の途中で、野宿をしている時に、彼は夢を見たのです。その夢とは、天から地上に向かって階段が真っ直ぐにのびていて、その階段を御使いたちが昇り降りしている、という夢でした。神様は、この時、ヤコブに対して、「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない!」と約束して下さったのです。これはヤコブの思いを遥かに越えた、想定外のことでした。ヤコブはこの時、家族からも、故郷からも、そして神様からも、「見捨てられた!」と思っていたのです。そのようなヤコブに対して、神様は、「私は決してあなたを見捨てない!」と告げられたのです。そして、天から地上に向かって、階段が真っ直ぐに延ばされている夢を見させて下さったのでした。この階段を使って、御使いたちが地上に降りてくるのです。そして、その御使いたちはヤコブの必要やヤコブの嘆き、ヤコブの願いをつぶさに聞き、それを携えて天に昇って行きます。そして、それを神様に伝えるのです。その上で、今度は天から神様の祝福を携えて、その御使いたちが、またヤコブのもとへと降ってくるのです。この階段は、そういう天と地をつなぐ階段、即ち、神様の世界と人間の世界とをつなぐ架け橋のようなものと言えるでしょう。ヤコブは、そういう架け橋がここにあることを、この夢を通して体験したのでした。そして、イエス様が語られた言葉も、まさにヤコブがあの夢の中で見たことを言い表していたのです。しかし、ここでは、それが「人の子の上に」と言われています。人の子というのは、イエス様がご自分のことを言う時に、よく用いられる言葉です。つまり、イエス様は、このお言葉によって、「天と地とを繋ぐ架け橋こそ、わたしなのだ!」と宣言されたのでした。

 イエス様は、私たちのことを、本当につぶさに見つめておられます。私たちの真実の願いも、悲しみも、悔い改めも、愛も、全部ご存じです。しかも、イエス様は、自ら傷を負い、私たちと同じ所まで降りてきて下さいました。私たちと同じ罪人の一人に数えられ、私たちが苦難の中で苦しむ以上に苦しみ、その痛みを味わい、私たちの罪を一手に担って下さったのです。しかも、ただ同じところに立って、苦しみを共にして下さるだけではなくて、十字架の死に打ち勝ち、甦って下さったお方として、その傷を完全に癒すことの出来るお方として、私たちのところに来て下さったのです。そのお方が、今、霊において私たちと共にいて下さいます。こうしてイエス様は、私たちの心にある悩みも悲しみも、全てご自分も経験したこととしてご存じであり、それらは全てイエス様を通して、神様のもとへと届けられていきます。また私たちの必要のいっさいも、キリストの霊、聖霊を通して、天から私たちのもとへと届けられるのです。将に、このイエス・キリストこそ、天と地を結び、神様と私たちとを結ぶ、真実の架け橋ではないでしょうか。

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