日曜朝の礼拝「引き下がれ、わたしの後ろに」

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引き下がれ、わたしの後ろに

日付
説教
吉田謙 牧師
21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。22 すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」マタイによる福音書 16章21節-23節

今日の箇所でイエス様は、これから、ご自分がエルサレムに行き、そこで多くの苦しみを受け、ついには殺され、三日目に復活することになっている、ということを弟子たちに打ち明けられました。しかし、それに対して弟子の筆頭であるペトロは、こともあろうにイエス様をわきへお連れして、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません!」といさめ始めた、と22節には言われているのです。それに対してイエス様は、非常に厳しい応答をなさいました。この時ペトロは、イエス様から「サタン!」と呼ばれてしまったのです。サタンとは、悪魔、人間を神様から引き離し、神様の恵みから落とそうとする者、神様の救いの御業を妨害する者です。「今、あなたが語っている言葉、あなたが取ろうとしている立場は、神様の救いを妨げるサタンの働きと同じ方向にある。あなたは知らず知らずの内に、神様の救いの御業を妨げる者の側に立ってしまっているのではないか?!」と主は厳しく指摘されたのでした。そして、主は続けてこうも言われました。「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

 この言葉は直訳すると、「あなたはわたしの躓きである。何故なら、神のことを心にかけず、かえって人間のことを心にかけているからだ」となります。「サタン」という言葉の次に、「わたしの躓き」と言われています。すぐ前の箇所で、この岩の上にわたしの教会を建てると言っていただいた、あのペトロが、今度は逆に「あなたは神の御業を妨げる躓きの石なのだ」と叱られているのです。そして、それは、この時のペトロが、神様のことではなく、人のことを心にかけていたからだ、と言われているのです。

 しかし、ペトロは別に神様のことを考えていなかったわけではないと思います。「人間のことしか考えていない」などと言われるのは、おそらくペトロにとっては心外だったでしょう。ペトロは、ただイエス様のことが心配だったのです。ペトロは悪意を持ってイエス様を妨害したわけではありません。イエス様に対する愛情から、またイエス様のことが心配だったので、ただいさめただけなのです。しかし、それだけにこの誘惑は怖ろしいと思います。私たちもよほど注意しないと、知らず知らずの内に、この過ちに陥ってしまうのではないでしょうか。主のために、教会のために、あの人この人のためにと言いながら、実はこの世の価値観や常識、自分たちの好みや損得勘定によって、「神様はこうあるべきだ!」「救いはこうあるべきだ!」と神様に自分の思いを押し付け、それが信仰だと思い込んでしまうのです。信仰の危機は、神様のことを考えなくなることだけではありません。神様のことを考えているつもりでいても、いつの間にか、自分の思いを神様の御心と勘違いしてしまうことがあるのです。そういう意味で、このペトロの言葉は、やはり「神のことを思わず、人間のことを思っている」言葉になっているのです。

 さて、イエス様はペトロに、「サタン、引き下がれ」と言われました。神様の御心を思うよりも自分の思いや願いをイエス様に押し付けようとしたペトロは、厳しく叱られてしまったのです。このイエス様の言葉は直訳すると「退け、私の後ろに、サタンよ」となります。この「私の後ろに」という言葉は、4章19節に出てくる言葉です。それはペトロたちがイエス様の弟子になった場面でした。その時、イエス様は「わたしについて来なさい」とペトロたちを招かれました。その「ついて来なさい」というところも、直訳すると、「従いなさい、私の後ろに」となります。つまり、この「私の後ろに」という言葉は、ペトロがイエス様の弟子として招かれ、一切を棄てて従って行った、あの時に彼が聞いた言葉なのです。それと同じ言葉が、今、イエス様の厳しい叱責の言葉の中にも響いています。この時、ぺトロは、この「私の後ろに」という言葉に、イエス様の自分に対する呪いや拒絶ではなくて、むしろ「招き」を聴き取ったのではないかと私は思います。これはあくまでも私の推測ですから、本当のところはよく分かりません。しかし、少なくとも私たちは、この言葉を単なる拒絶の言葉としてではなくて、弟子としての本来の位置へと戻す招きの言葉として聞くことができます。

 弟子というのは、イエス様の後ろについていく者でしょう。つまりイエス様が教えて下さる通りに聞き従っていく者なのです。ペトロもそのような者として歩み出したはずでした。しかし、そのようにして弟子として歩み始め、イエス様を信じる信仰も深まり、「あなたはメシアです」と信仰告白するまでに成長することができたその時に、彼は落とし穴に落ちてしまったのです。自分はもうイエス様のことが分かっている、イエス様の救いとはどのようなものかが分かっている、そう思った途端に、彼はイエス様の後ろについていくことを止めてしまったのです。いや、むしろイエス様の前に立ちはだかり、イエス様の十字架への道を妨げようとしてしまったのでした。

 しかし、そんなペトロに対してイエス様は、「あなたは今、父なる神様の御心を妨げるサタンと同じところに立っている!」と厳しく叱られながらも、なお招いて下さいました。「あなたが立つべきところはそこではないはずだ!もう一度、原点に立ち返るように。わたしの背中をじっと見つめながら、わたしの後についてきなさい!」と主は招いて下さったのです。

クリスチャンは、皆イエス様の弟子です。イエス様の弟子の歩みは、イエス様の背中を見つめながら、イエス様のすぐ後について行く歩みでなければなりません。しかし、信仰生活が長くなると、ついついペトロのように、イエス様のことが分かっているつもりになり、自分勝手な思い込みで歩んでしまうことがあります。いつの間にかイエス様の前に立ちはだかっている自分がいるのです。その度にイエス様は、忍耐強く、語りかけてくださいます。「引き下がれ、わたしの後ろに!」と。

 それは私たちを退ける言葉ではありません。「もう一度、弟子としてわたしの後ろに戻りなさい」という招きです。私たちは、ただイエス様の後ろについて行けばよいのです。この先、どうなってしまうのだろうかと不安になることもあるのかもしれません。でも大丈夫です。何故ならば、私たちの先頭に立って歩んで下さるのは、私たちの救いのために十字架と復活をくぐり抜けてくださったイエス様だからです。そんなお方が私たちのことをみすみす滅びるままにしておかれるはずがありません。

 そういうわけで私たちは、十字架に向かわれるイエス様の背中を見つめながら、今日も一歩一歩、その後ろにつき従っていきたいと思います。

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