悪霊からの解放
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- 説教
- 吉田謙 牧師
32 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
マタイによる福音書 8章28節-34節
千里摂理教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。
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不思議な出来事です。イエス様が一言、「行け」と言われると、悪霊はみんなこの二人の人から出て行って豚の中に入り込み、そして豚の群れは皆、水の中になだれ込んで死んでしまった、と言うのです。今日の箇所で、イエス様が語られたお言葉は、この「行け」という言葉だけです。同じ物語を記しているマルコによる福音書やルカによる福音書には、もっと沢山のイエス様の言葉が記されています。しかしマタイは、この「行け」というイエス様のお言葉のみを書き記しました。何故でしょうか。それはおそらく、この「行け」という言葉のみを書き記すことによって、「イエス様は、一言で悪霊を追放することの出来る権威あるお方なのだ!」ということをマタイは強調したかったのでしょう。
町の人々は、このイエス様に「出て行ってもらいたい!」と願いました。何故でしょうか。それはやはり、豚がたくさん死んでしまったからでしょう。ここには記されていませんが、マルコによる福音書によると、この時、湖でおぼれ死んだ豚の数は、約二千匹ほどであった、と言われています。二千匹というのは大変な数ですね。被害額も相当なものだったでしょう。町の人たちは、この二人の男と二千匹の豚の価値をソロバンではじき、天秤に掛けたのです。確かに、この二人の男が悪霊から解放されたことは、町の人たちにとっても素晴らしい出来事であったに違いありません。けれども彼らは、「そのために飼っていた豚2千匹を失ってしまうことなど、あり得ないことだ!」と考えたのです。
しかしイエス様は、人々から見捨てられていた、この凶暴な二人を救うために、ご自分を慕い求める群衆を湖のあちら側に置いたまま、嵐を乗り越え、わざわざ向こう岸の異邦人の地にまでやって来られたのです。イエス様から見れば、豚二千匹よりも、この二人の人の魂の方が遙かに尊かったのです。これが私たちの救い主、イエス・キリストです。イエス・キリストは、この同じ愛をもって、私たち一人一人に近づいて下さいます。ご自分の命を十字架に犠牲にしてまでも、私たち一人一人に近づき、語りかけて下さるのです。「あなたは、本当の自分が見えていない。確かにあなたには醜さもあるし、弱さもある。暗い生活があり、否定的な考え方もある。希望のない冷たい心があり、そんな罪にまみれた自分に嫌気がさして、石で自分自身を打ち叩きたくなる衝動にかられることもあるのかもしれない。私もそのことをちゃんと知っている。しかし、それは決してあなたの全てではない。あなたの最も深いところには、神様に造られた素晴らしい可能性を秘めた本当のあなたがいるではないか。今は誰にも見えていないのかもしれない。けれども、掛け替えのない、世界でたった一人しかいない、素晴らしい可能性を秘めたあなたが私には見える。早くそのあなた自身に気づいて欲しい。そして、あなたらしく輝いて生きてほしい!」私たちの主イエス・キリストは、自らの命を犠牲にしてまでも、私たちに近づき、このように語りかけて下さるのです。
イエス様は私たちが愚かな時に、あるいは冷たい心の時に、「あなたのような人間では、もう私の十字架には値しない!」とは言われません。私たちに向けられた十字架の愛を、私たちの様子を見て、慌てて取り消すようなことはなさらないのです。むしろ、そういう愚かなあなたを救うためにこそ、私の十字架の犠牲はあった、と言って下さいます。そして、私たちの内側で私たちを惑わし、混乱させている罪の力に向かって、イエス様は権威あるお方として力強く語って下さるのです。「行け」「悪霊よ、この人たちから出ていけ」と。
今、ヨーロッパではキリスト教離れが進んでいます。そして、キリスト教を離れた若者たちは、無神論ではなくて、オカルトや魔術、星占いなどに魅せられている、と言います。ヨーロッパのキリスト教の衰退は、もしかすると霊の問題をなおざりにし、余りにも聖書を合理的に解釈してきたことに起因しているのかもしれません。霊的な事柄に怯える人々は、キリスト教以外のものにその解決を求めようとしているのです。これは本当に寂しい現実ですね。私たちは、悪霊に勝利されたイエス・キリストを、もっと真剣に、文字通りに信じてよいのではないでしょうか。日本でも、先祖の霊や水子の霊、様々な霊の存在に怯えている人たちが大勢います。私たちはそのような存在を信じていませんが、しかし同時に、そういう目には見えない私たちを脅かす存在は、全て「悪霊」と言い換えてもよいのではないかと思います。そして、天と地の一切の権能を授かっておられるイエス・キリストは、その霊の世界においても全てを支配しておられるのです。ここに私たちの平安があります。
天と地の一切の権能を授かっておられるお方が、私たちを救うために、あの十字架の上で自らの命を犠牲にしてくださいました。それほどまでに主は、私たちのことを愛して愛して止まないのです。そんなお方が私たちのことをみすみす滅びるままにしておかれるはずがありません。まだ神の国は完成していませんから、しばしば悪霊が私たちの生活を脅かすことがあります。けれども、たとえ、どのような恐ろしい力が私たちの人生を脅かそうとも、天と地の一切の権能を授かっておられるお方が私たちの味方であり、全力で私たちを守り抜いてくださいます。このことさえ分かっていればもう大丈夫です。何も心配する必要はありません。きっとここぞという時に、主が「行け」「この人たちから出ていけ!」と悪霊に命じ、私たちを守ってくださるでしょう。そういうわけで、これからもこのお方に信頼しつつ、安心して罪との戦いを雄々しく戦い抜いていきたいと思います。