日曜朝の礼拝「復活の希望」

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復活の希望

日付
説教
吉田謙 牧師
 20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
コリントの信徒への手紙一 15章20節-28節

 キリストの復活が肉体をもっての復活であったように、私たちにも、体の甦り、肉体における復活が約束されています。そして、その復活は、当然のことながら、まだ私たちの内には起こっていません。これは魂において既に起こっていることではなくて、この肉体において将来与えられる恵みなのです。

 このことをパウロは、22節のところで注意深く語ろうとしています。22節。「つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」

 日本語の翻訳では少々分かりづらいのですが、この「すべての人が生かされることになるのです」という言葉は、本来、原文においては未来形の文章になっています。つまり、ここでは「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるでしょう」と言われているのです。罪と死の力に打ち勝つことは、初穂であるイエス・キリストの復活によって既に始まっています。もうその第一段階は、既に起こっているのです。けれども、残念ながら、それはまだ完成には至っていません。なお完成までには、第二段階、第三段階を経なければならないのです。それまで私たちは、この世の様々な力に振り回され、中でも死の力に翻弄されながら、それぞれの人生を歩んでいかなければならないのです。けれども、私たちは、キリストが私たちの初穂として復活して下さった恵みを信じていますから、今私たちを支配しているこの世の様々な力も、最終的には必ずキリストのご支配の下に置かれることを信じています。また私たちを恐れさせ、脅かす死の力さえも、最後の敵として必ず打ち滅ぼされることを信じているのです。ですから、たとえ様々な力に翻弄されて、時にはそれに打ち負かされたとしても、決して諦めることなく、忍耐しつつ、希望をもって生きることができるのです。

 イエス・キリストは、ある時、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:14)と語りながら福音を宣べ伝え始められました。「神の国は近づいた!」「神の国」とは、「神様のご支配」を意味します。神様が王様として支配して下さる時が近づいた。いや、もうそこまで来ている。既に、あなた方はその一部を味わっているではないか、こうイエス様は言われるのです。しかし、残念ながらこの神の国、神様のご支配は、まだ完成には至っていません。ですから、しばしば罪の現実が露わにされて、まるでサタンに支配されているかのように思えることもあるのです。けれども、神の国は着実に進展しています。もうイエス・キリストは私たちの初穂として既に甦られました。私たちは、ただ魂が救われることだけに希望を置くのではなくて、この体がやがてキリストのように栄光の体に甦ること、今、私たちが生きているこの混乱した世界がやがては完成すること、即ち神の国が完成することに希望を置いて、今という厳しい時代を生きていくのです。ですから、クリスチャンは、ただ天国の希望があるからと言って、この混乱した世界のことはもう諦めて、ただただ忍耐して生きるというのではないのです。そうではなくて、クリスチャンは、どんなに目の前にある現実が暗くても、決して諦めない。神の国の進展のために、今、自分に出来る精一杯の仕方で仕えていくのです。

 山で遭難した人は、たまらない眠気にさそわれるそうです。その時に眠ってしまったならば、当然そのまま死んでしまうでしょう。けれども、「まだ助かる」と希望を持ち続けている人は、その眠気と戦うのです。辛いのですが、眠ってしまえば楽になるのですが、しかし希望がある人は、辛くても、苦しくても、その眠気と戦うのです。それと同じように、希望がある人には、希望がない人とは別の戦い方があります。絶望して諦めてしまったならば、もう戦う必要などありません。けれども、クリスチャンには確かな希望がありますから、他の人が簡単に諦めてしまうようなことであっても、決して諦めずに、忍耐強く戦い続けるのです。

 「人間なんて、どうあがいたって所詮こんなもんだ」と思っている人は、もう諦めていますから、嘆くことすらしません。けれども私たちは、やがてこの世界が完成し、最初造られた時のような極めてよかった状態が回復することを望みみていますから、またその時には私たち自身も栄光の体に甦り、イエス様そっくりの人間になることを信じていますから、そのギャップを覚えて私たちは嘆くのです。職場でも、家庭でも、対人関係でも、教会関係でも、全ての場面で私たちは神の国が完成したならば、こんなはずではない、と思いますから、嘆くのであります。けれども、ただ嘆くだけではなくて、この嘆かわしい状態が少しでも完成した時の状態に近づくようにと、諦めることなく、今、自分に出来る精一杯の仕方で仕えていくのです。

 苦しみや悲しみが全部なくなりました、という報告を私たちは、今、聞こうとしているのではありません。苦しみや悲しみは、なおこれからも続くことでしょう。けれども、たとえそういう苦しみや悲しみの中にあっても、私たちはなお諦めることなく、また絶望することもなく、希望をもって歩むことが出来るのです。何故ならば、イエス・キリストが私たちの初穂として、神の国の完成の希望として、既に甦って下さったからです。

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