日曜朝の礼拝「確かな人物」

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確かな人物

日付
説教
吉田謙 牧師
20 テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。21 他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。22 テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。
フィリピの信徒への手紙 2章19節-24節

 今日の箇所には、これからパウロが自分のもとからフィリピの教会に送り出そうとしているテモテという人物についての推薦の言葉が記されています。

 パウロの周りには色んな人々がいたことでしょう。けれども、フィリピの人々を親身になって心配しているのは、このテモテの他にはいない、とパウロは言うのです。そして、その理由としてパウロは、他の人は、自分のことを追い求めているけれど、テモテだけは、自分のことではなく、イエス・キリストの望まれることを一所懸命に追い求めているからだ、と語っているのです。イエス様は、フィリピの教会の人々の救いの達成を熱心に願い求め、そのために十字架にご自分の命を差し出して下さいました。テモテは、このイエス様の願われることを一所懸命に追い求めていましたから、当然、フィリピの教会のことも、親身になって心配していたのです。

 またテモテは、同じ熱心をもって、伝道にも取り組んでいました。イエス・キリストに対するこのテモテの献身、一生懸命さは、教会の中にいる人たちのことを心配するだけではなくて、福音に仕えていたのです。要するに伝道に仕えていたのでした。開拓伝道の最初の時には、教会の外にいる人々のために熱心に仕えました。十字架に命を捨てて下さったイエス・キリストの願いを第一にする時に、私たちは教会の中でお互い同士を大切にするだけではなくて、教会の外にいる者たちにも、なんとかして福音を伝えたいと願うはずです。イエス・キリストは、既に集っている羊のためだけではなくて、まだ集っていない外にいる羊のためにも命を捨てて下さいました。テモテは、このキリストの心を自分の心とし、まだキリストの福音を知らない人々に対しては親身になって寄り添い、一所懸命、福音を宣べ伝えていったのです。また既に福音に生き始めている兄弟姉妹に対しても、親身になって様々な思い悩みに耳を傾け、共に祈り、共に励まし合い、共に支え合っていったのでした。

 パウロが確かな人物としてフィリピの教会に推薦したのは、こういう人物です。こういうテモテの姿と私たちの姿とを比べる時に、私たちは落ち込んでしまうのではないかと思います。私たちは、いつもいつも神様の御心に従って生きているわけではありません。大抵の場合、私たちは、あれをしたい、こうなりたい、これを手に入れたい、という具合に、自分の願いを最優先にしているのではないでしょうか。

 私たちの心の中にも、イエス様の願いを追い求めたいという気持ちは十分にあると思います。またイエス様の十字架の熱心をしっかりと受け止めたい、という気持ちも十分にあるのではないかと思います。けれども、実際にそれぞれの生活の中で、それをどのようにして追い求めているのか、と問われる時に、おそらく私たちのほとんどが、口ごもってしまうのではないかと思います。

 ではテモテは、最初から「確かな人物」だったのでしょうか。そもそも、先程の22節の「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり」という文章は、以前の口語訳聖書では、「テモテの練達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである」と訳されていました。テモテは練達した者なのだ、と翻訳されていたのです。この「練達」という言葉から、まず私たちが思い描くのは、苦しみを通り抜けることによって、本物ぶりがはっきりとしてくる、ということではないでしょうか。イエス様との信頼関係、神様との信頼関係というのは、苦しみの中でこそ、より一層浮き彫りにされ、磨き上げられていくものでしょう。そうやって苦しみを経験していく中で少しずつ筋金入りの練達した信仰者になっていく、これが「練達」という言葉から私たちがまず思い描くことではないかと思います。

 つまり、テモテも最初から筋金入の信仰の持ち主ではなかった、ということです。事実、テモテは、「テモテへの手紙」というパウロの書簡の中で、年は若いし、体も弱いし、また「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。ですから、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはなりません。」(テモテの手紙二1:7-8)と言われているように、テモテは、どちらかというと臆病で、気が弱く、また主を証しすることについても臆するような、パウロから常に励ましを受けなければならない弱い人間であったことがよく分かります。しかし、そんなテモテが、今日の箇所では、「様々な苦しみを通り抜けることを通して、練り清められた、筋金入の練達した信仰の持ち主である!」と推薦されているのです。

 おそらくテモテは、最初、若いということで、軽んじられることも多々あったのでしょう。実際に未熟さゆえに、失敗することも、しばしばあったのではないかと思います。けれどもテモテは、決して腐ることなく、失敗は失敗として、しっかりと受けとめ、悔い改める点はしっかりと悔い改めて、イエス様の十字架によって何度でも赦していただきながら、諦めることなく、戦い続けたのではないかと思います。まだ、この時点においては、「テモテへの手紙」で指摘されているように、彼にも色んな弱さがあり、手放しで推薦できるような状態ではなかったのかもしれません。けれども、テモテは、様々な戦いの中で、神様によってその信仰が練りきよめられ、少しずつ造り変えられつつあったのです。だからこそパウロも、今日の箇所で、「彼は練達した人物である!」と推薦したのでした。これは私たちにとっても、本当に大きな励ましではないかと思います。

 今はまだ、私たちには色んな欠けがあるのかもしれません。けれども私たちには、終わりの日の完成が約束されていて、私たちは、その日に向けて神様から少しずつ造り変えていただけるのです。私たちも、このテモテの模範に倣い、失敗しても決して諦めることなく、悔い改めるべき点はしっかりと悔い改め、イエス様の十字架によって何度でも赦していただきながら、希望をもって歩んでいきたいと思います。

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