日曜朝の礼拝「神の御業としての救い」

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神の御業としての救い

日付
説教
吉田謙 牧師
12 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。 14 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。
フィリピの信徒への手紙 2章12節-16節

 今日の箇所でパウロは、先週に引き続き、「従順」を教えようとしています。「従順でいて、救いの達成に努めるように。」と勧めているのです。では、この「従順」とは、具体的には、どういうことを言うのでしょうか。今日の14節のところに、この従順であることが、このように言い換えられています。「何事も不平や理屈を言わずに行いなさい。」神様から与えられたその場所で、神様から与えられた人々に、自分よりも優れた者として謙遜に仕えていくのです。また、日々の生活の中で、様々に起こりくる事柄を、神様の御旨としてしっかりと受けとめ、どんなことであっても、神様に対して不平や理屈は言わない、神様の御旨に喜んで従っていく。果たして私たちに、そんなことが出来るでしょうか。私たちは、この御言葉の前に、ただただ、たじろぐばかりです。

 けれども、よくよく考えてみると、そういう願いが私たちの心に全くないのかと言うと、決してそうではないと思います。私たちは、そうやって生きることが、どんなに素晴らしいことであるかをよく知っています。また、出来るなら、そのように生きてみたいと願っているのではないでしょうか。本当に不思議なのですが、そういう願いが、私たちの心の奥底に、確かに芽生え始めているのです。

 このことが13節のところで、このように説明されています。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」これは、とても重要な指摘ではないかと思います。神様が、私たちの内側に、そういう願いを起こして下さった、と言うのです。このことは、私たち自身の心の内側を探って見るならば、よく分かることではないかと思います。兄弟姉妹を自分よりも優れた存在として受けとめたいという願いが、確かに私たちの内側にも芽生え始めています。苦しい試練の中にあっても、それを神様の御心として受け止めたいという思いが、私たちの内側にも確かに芽生え始めているのです。まだその思いは、小さな小さな願いかもしれません。けれども、それは神様が起こして下さった願いなのです。

 13節の「あなたがたの内に働いて」という言葉は、力強い活動を言い表している言葉です。この言葉から、後に「エネルギー」という言葉が生まれました。神様が、私たちの心の内側に大きな力をもって働き始めておられます。神様が、愛と救いのエネルギーをもって私たちの内側に働きかけ、神様に服従したいという思いを起こして下さったのです。今までの私たちなら、絶対にわくはずのない願いです。何故そんな願いが、私たちの内側にわき起こったのでしょうか。神様が、私たちの内側で力強い活動を始めて下さったからです。

 パウロは、12節のところで、「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」と勧めていました。恐れおののきつつ、なのです。私たちには、救いを達成する力はありません。神様に頼るほかないのです。神様は、そんな私たちの内側に、力強いエネルギーをもって働きかけてくださいました。神様が、私たちの内側に働きかけ、わくはずのない願いを私たちに与えて下さったのです。そうであるならば、私たちは、この願いを気軽に扱うことは出来ません。私たちの内側に働いておられる神様への恐れがなければならない。ここで言う恐れというのは、恐怖の恐れではなくて、畏れ敬うという畏敬の念のことです。私たちをすっかり変えてしまうような神様の活動が、私たちの内側で、もう既に始まっているのです。そうであるならば、この願いを気軽に捨て去ることは出来ません。「兄弟姉妹をなんとか愛そうと試みたけれど、お互いに傷つけ合い、二進も三進もいかなくなってしまった、もう辛いので諦めた!」そういうわけにはいかないのです。この願いは、私たちが自分で勝手に起こしたものではなくて、神様が起こして下さったものだからです。「あなたがたの内側で力強く活動し、その願いを起こして下さったのは神様なのだから、あなたがたは、簡単に諦めてはいけない!このお方を恐れおののきつつ、救いの達成のために努めなさい!」このようにパウロは熱心に勧めたのでした。

 またこの13節のところには、神様は願いを起こさせただけではなくて、「行わせておられる」とも言われています。その通りだと思います。

 私たちの内には、神様の御心に従いたいという願いはあるけれど、実際には何もできない、ということでは決してないと思います。実際に私たちの教会には、大きな試練に合いながらも、それを神様の御心として受け止め、神様から力をいただきながら必死で戦っておられる方々が大勢いらっしゃいます。また、人に仕えたいという思いだけではなくて、実際に私たちには、それを実践する力も与えられているのではないかと思います。勿論、私たちには、力の限界がありますから、完璧なことはできません。しかし、その思いが私たちの内側には確かにあって、その行いが、私たちの教会の中にも、実際にここかしこに現れているのではないかと私は思います。神様の御手が、そこに確かに働いているのです。恐れおののきつつ、私たちはこのことを認めなければなりません。神様は、人に仕える力を私たちに与えて下さっています。苦しい試練を神様の御旨として受け止める思いと力を私たちに与えて下さっています。神様は、今、私たちの内側で力強く働き、私たちを少しずつ少しずつ造り変えようとしておられます。そしてやがて神様は、救いの達成という完成まで、私たちを必ず導いて下さるのです。

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