日曜朝の礼拝「豊かな愛に生きる」

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豊かな愛に生きる

日付
説教
吉田謙 牧師
9 わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、
10 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、11 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることが できるように。
フィリピの信徒への手紙 1章9節-11節

 今日の箇所には、フィリピ教会に対するパウロの祈りが記されています。ここでパウロが「あなたがたの愛がますます豊かになるように」と祈ったということは、フィリピの教会の人々にも、愛の欠如という具体的な問題があった、ということです。これからこの手紙を読み進めていく中で、実際にフィリピ教会の中にも、愛の欠如によって、婦人会の中に分裂が起こりつつあったことが、次第に明らかになっていきます。地上の教会は決して完璧ではありません。パウロが信頼していたフィリピ教会でさえ、そうでした。おそらく私たちの教会にも、愛の欠如が、ここかしこにあるのではないかと思います。しかし、それは何も絶望すべきことではありません。フィリピの信徒への手紙3章13節には大変に有名な御言葉があります。「兄弟たち。私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって、上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」

 私たちは、しばしば自分たちの愛が十分でないことや、信仰が弱いことを嘆き、落ち込むことがあります。けれども、完全な人など誰一人いないのです。私たちは、まだ旅の途上にある不完全な者たちです。けれども、私たちは、決してあてもなく放浪しているわけではありません。私たちには、ちゃんと終わりの日の完成が約束されていて、その目標をしっかりと見据えながら、希望をもって歩んでいるのです。今は、まだまだ不完全であり、欠けの多い者たちなのかもしれません。けれども、イエス・キリストは、日々の生活の中で、私たちを少しずつ愛の豊かな者へと造り変えて下さいます。そして、教会を少しずつ愛の溢れる教会へと成長させて下さるのです。

 では、この愛は、具体的には、どのようにして「ますます豊かになる」のでしょうか。9節でパウロはこう祈りました。「知る力と見抜く力とを身につけて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」愛は、知る力と見抜く力と共に成長するものだ、とここでは言われています。「知る力」というのは、教養や様々な情報のことではありません。そうではなくて、信仰的な知る力のことです。いかに教養豊かで、この世の情報をたくさん知っていたとしても、それで人格が成長し、愛が豊かになるわけではありません。そのことは、私たちの周囲の人々を眺める時に、よく理解できることではないかと思います。愛が豊かになるために大切な「知る力」は、ただ単なる教養ではなくて、神様についての知識のことなのです。

 それでは私たちは、イエス様のことを何から知ればよいのでしょうか。それは、当然、聖書からなのです。私たちは、聖書を学ぶことによって、キリストの心を知る感覚が養われていきます。すなわち、聖書を学ぶことによって、何が神様の御心なのか、また何が神様の御心ではないのか、という「見抜く力」が備わっていくのです。

 宝石が本物であるかどうかを鑑定する仕事があります。その鑑定のための能力を養うために、まず何をするのかと言うと、徹底的に本物だけを見続ける、本物についてあらゆることを知り尽くす、ということだそうです。そうすることによって不純物や偽物を見分ける能力がついてくるのです。本物と偽物とを区別しながら、その違いを見ていくよりも、本物だけを見続ける、本物を見つめる目を養う、それが鑑定する人の最初の訓練なのだ、と言うのです。私たちの信仰についても、これと同じことが言えるのではないでしょうか。まず徹底的に御言葉を学ぶこと。聖書に聞き続けること。このことを抜きにしては、何も始まりません。

 10節前半には、「本当に重要なことを、見分けられるように。」とパウロは祈っています。ここで言われている「本当に重要なこと」とは、信仰者にとって、あるいは教会という一つの群れにとって、本質的なこと、最も重要なこと、欠くべからざること、という意味です。そういうものを見分けることができるように、とパウロは祈っています。確かに、信仰生活において、本質的なものと派生的なもの、中心的なものと周辺的なものという区別がきっとあるでしょう。しかし私たちには、それを正しく判断し、識別することは、とても困難です。しかも私たちの心をしばしば捉えるものは、中心的なものよりも周辺的なもの、本質的なものよりも派生的なものという場合が結構多いのではないかと思います。

 私たちは、神様を知らない内は、何が重要なのかが分からないで生きてきました。枝葉のことばかりにこだわり、小さなことで人を傷つけてしまったこともあったでしょう。あるいは、自分自身を傷つけることもあったのかもしれません。しかし、神様を知る力と神様の御心を見抜く力において愛が豊かにされる時に、私たちは枝葉のことではなくて、自分と隣人に一番大切なことを見抜き、そのために仕えることが出来るように造り変えられていくのです。

 私たちの救いを願っておられる神様のことを徹底的に知り、そしてその神様の御心を徹底的に探り求めること。これが愛を豊かにする秘訣です。このことを抜きにして、愛の成長はありません。パウロは、そのことを知っている者として、この祈りを祈ったのでした。私たちもこの道筋を通り、愛がますます豊かにされるようにと祈り求めていきたいと思います。

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