日曜朝の礼拝「聖霊に導かれて」

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聖霊に導かれて

日付
説教
吉田謙 牧師
6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。 8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
テサロニケの信徒への手紙一 1章4節-8節

 御言葉を喜びをもって受け入れる時に、私たちは少しずつ変えられていきます。イエス様に似る者へと少しずつ変えられていくのです。それがここで言う「わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となる」ということでしょう。聖霊の力強い働きによって、私たちが、御言葉を喜びをもって受け入れ、信仰をもって生き始める時に、私たちは、少しずつイエス様に似る者、イエス様に倣う者とされていくのです。テサロニケの人々は、そのようにしてイエス様の愛と恵みによって造り変えられていきました。そのことによって彼らは、「マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至った」のです。ここで「模範」と訳されている言葉は、もともとは「形」とか「ひな型」という意味の言葉です。「模範」と言うと、何かものすごく立派な姿をイメージするのかもしれません。しかしこの言葉のもともとの意味はそういう意味ではないのです。「形」です。「ひな型」です。イエス・キリストの愛と恵みがそこに形をなしていく、イエス・キリストの福音によって生かされている者の姿がそこにある、ということです。そして、これはテサロニケの教会にのみ起こった特別なことではなくて、本当は私たちにも起こっていることなのです。

 喜びをもって御言葉を受け入れ、イエス・キリストの愛と恵みに満たされながら生きる時に、私たちの生き方は自然と変えられていくはずです。「神様を礼拝して生きる生活がどんなに喜びに満ち溢れているのか!」「罪赦され、心の重荷をおろして生きることが、いかに自由で、晴れ晴れとした生き方であるか!」「罪を認めながら生きることが、どんなにへりくだった生き方になるのか!」私たちは、そういうことを実際の生活の中で、知らず知らずの内に表しているのではないでしょうか。あるがままの私たちの姿が、キリストの恵みに生きる者のひな型になるのです。

 ある教会の機関誌に、私と同世代のある姉妹の証しの文章が掲載されていました。こういう文章です。「若い頃もこれからも、私が歩いて行く道は穴だらけの道のようです。でも、同じような道でも、歩いている私は昔の私ではありません。神様に出会う前の私は、穴にはまると、落ちた自分を責め、後悔し、嘆き、人を責め、恨み、そうすることで、ますます穴を深くしていました。自分独りで抜け出そうとして思い煩い、心はそのことでがんじがらめにされていました。平らな道を歩いている時でさえ、穴に落ちたらどうしようといつも不安でした。神様を信じた後も、最初の頃は、すぐに助けを祈り求めることができませんでした。祈っても、本当に助けて下さるだろうかと不安でした。思い煩いをすべて神様に委ねることができませんでした。また、なかなか助けが来ないと、神様の存在さえ疑ってしまうこともありました。そんな弱い私を神様は恵みによって赦し、変え続けて下さいました。今、私は以前に比べてずいぶんと変えられました。穴に落ちたと気づいたら、すぐに「祈ること」ができるようになりました。いつどのように助けられるのかは、神様の御心のままであり、自分の思い通りではないことも分かっています。穴の中にいても、主がいつも側にいて下さることも分かるようになりました。もう思い煩いが心を縛り付けることはありません。神様に頼れば、本当に自由で平安です。」

 こういう、自らの信仰生活に根ざした気取りのない言葉が、人の心を捉えるのだと思います。決して立派な生活をするということではありません。ただ福音に感動しながら、福音の喜びに生きるのです。罪赦されながら、毎日、新しく出発することが出来る。どういう状況の中にあっても、永遠の命の希望と喜びと平安に生きることが出来る。これはクリスチャンであるならば、みんなが出来ることではないかと思います。御言葉を受け入れ、イエス・キリストの愛と恵みに満たされて生きる時に、このキリストの愛と恵みが、私たちの中で、ある形をなしていくのです。テサロニケの教会の人々が、全ての信者の模範となったというのは、そういうことなのです。

 ですから、主の言葉が彼らのところから出て、その地方全体に響き渡ったというのも、決して特別なことではありません。神様は御言葉を全地に響き渡らせて下さいます。そのために神様は、とるに足りない私たちを愛し、選んで、聖霊の力強い働きによって、イエス・キリストの福音の出来事を私たちの内にも起こして下さいました。そして私たちを、喜びをもって御言葉を受け入れ、その喜びに生きる者として下さったのです。これがあのペンテコステの時以来、教会に起こっている現実です。この驚くべき神様の恵みの御業を、私たちが素直に受け止める時に、主の御言葉が、私たちの教会からも、必ず全地に響き渡っていくことでしょう。

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