日曜朝の礼拝「喜ばしい知らせ」

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喜ばしい知らせ

日付
説教
吉田謙 牧師
13 「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 」・・・18 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
ルカによる福音書 1章5節-25節

 祭司ザカリア夫妻には、子供が与えられず、もう既に年老いていました。イスラエルの人々にとって子供が授からないというのは、それだけで神様の祝福が決定的に欠けている、ということです。ザカリア夫妻は、これまでそういう悲しみを抱えながら生きてきたのです。ところが、こういう祭司ザカリアが聖所に入り、香をたいていると、そこに主の天使が現れ、このように告げた、と言うのです。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を生む」と。これは本来、嬉しい知らせなのです。ところが彼は、この全く想定外の神様のシナリオに動揺してしまい、思わず不信仰をもって答えてしまったのでした。「何によって、わたしはそれを知ることができるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と。

 旧約聖書の中には、年老いてから子供が授けられた例がたくさん記されています。アブラハムの妻サラ。サムエルの母ハンナ、ヤコブの妻ラケル、みんなそうでした。神様に出来ないことは何一つない。祭司であったザカリアは、そのことを誰よりも信じていたはずです。それなのにザカリアは「わたしも妻も、もう年をとっていますから、子供など生まれるはずがありません。もしそれが本当なら証拠を見せて下さい。しるしを見せて下さい。」こう言って、この天使の言葉を突き返してしまったのです。このことの故に、彼は言葉を失ってしまいました。神様がザカリアから言葉を奪われたのです。

 これは決して他人事ではありません。私たちも同じような失敗を何度も経験しているのではないかと思います。私たちは、色んな夢を抱き、自分自身の人生のシナリオを思い描いています。ところが、そうやって思い描いていた人生のシナリオが、ある日突然、台無しにされてしまうことを、私たちはしばしば経験するのです。そんな時に、私たちは、突然、提示されたその人生のシナリオを、素直に受けとめることが出来るでしょうか。なかなか出来ないと思います。私たちは、どこまでも自分のシナリオにしがみつき、断る理由をあれこれと列挙していくのです。「私は年老いていますし、病弱です。能力もありませんし、性格も良くありません。不注意でミスばかりしてしまいます。家族にも問題があります!」と。

 私も、こういうことをこれまでに何度も経験してきました。何度、神様のシナリオを拒もうとしたことか。けれども、その度に思わされたことは、神様が思い描いておられるシナリオは、人間の思いを遙かに越えて素晴らしい、絶妙なのだ、ということです。私は、こういうことを経験する度に、いつも創世記に登場するヨセフのことを思い起こします。ヨセフも自分のシナリオを描きました。それは、牢屋に入っていた時に、給仕役の長の夢を解き明かし、彼によってヨセフの身の潔白が証明されて、牢屋から解放される、というシナリオでした。ところが神様は、もっと壮大なシナリオを思い描き、ヨセフにその一端を担って欲しいと願っていたのです。もしヨセフが願ったとおりのタイミングで牢獄から解放されていたならば、いったいどうなっていたでしょうか。おそらく、二年後に王様の夢を解き明かすことなど到底出来なかったでしょう。そして、王様との出会いがなければ、彼が総理大臣になることも、そして、もっと大事なこととして、イスラエルの家を始め、エジプト全土、その周辺諸国の人々の救済も難しかったはずです。神様のシナリオは、ヨセフの願いを遙かに越えて、一つ一つの出来事が絶妙のタイミングで織りなされた、壮大で素晴らしいシナリオだったのです。同じように、神様は私たちが握りしめているシナリオよりも、もっと素晴らしく豊かなシナリオを用意しておられるはずです。

 作家の三浦綾子さんは、本当に信じられないぐらいに沢山の病を経験した方でした。肺結核、脊椎カリエス、心臓病、喉頭癌、ヘルペス、直腸癌、そして最後にパーキンソン病です。けれども、彼女はこれらの病を一つ一つ克服しながら、小説と証しの書物を沢山、世に産み出していったのです。そんな彼女が書いたエッセイ集の中に、こんな言葉がありました。『自分で勝手に、自分の未来を決めてしまわないで下さい。こんな未来しか持っていないなどと、分かったような顔をしないで下さい。神の書かれるシナリオと、あなたの書かれるシナリオとは異なるのです。』本当にどん底を経験された彼女の言葉だからこそ、私たちの心に迫ってくるのだと思います。

 また預言者エレミヤは、ある時、このように語りました。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」エレミヤ書29章11節の御言葉です。しばしば私たちは、「神様のご計画は、私にとって災いでしかない!」と言いたいような時を過ごすことがあります。けれども、神様のご計画は、本当は平和の計画であり、将来と希望を与えるものなのです。そのことを素直に受けとめるためには、やはり、ある程度の時間が必要な時があります。おそらく、この時のザカリアにも、そういう余白の時間が必要だったのではないでしょうか。

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