日曜朝の礼拝「系図が語る福音」

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系図が語る福音

日付
説教
吉田謙 牧師
1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。マタイによる福音書 1章1節-17節

今日の箇所には、アブラハムから始まり、イエス・キリストに至るまでのイスラエルの歴史、系図が記されています。

 家族の歴史、先祖の歴史を紐解く番組が、十年程前から某テレビ局で放映されています。タレントや役者、スポーツ選手の先祖たちがどのような歩みをしてきたのかを、番組スタッフが調査し、再現ドラマ仕立てにして紹介している番組です。その番組に登場する人々の先祖には、由緒正しい家柄の人もいれば、庶民の人もいます。かつては地位が高かった家柄の人が、明治維新や戦争という歴史の荒波の中で、どん底にたたき落とされたり、またそこから這い上がったりと、その歩みは一人一人尊いものであり、掛け替えのないものと言えるでしょう。そういう先祖たちの歩みを映像で見せられた人は、一様に目に涙を浮かべて、先祖の苦労に思いを馳せ、今生きている自分が何者であるか、これからどのように生きていかなければならないのかを、深く考えさせられているように思います。今、日本においては、系図を重んじる習慣がなくなりましたから、ただ系図と言っても、あまりピンとこないのかもしれません。しかし、本来、系図には、そういう先祖の苦難や過ちや栄光の歴史が刻まれているのです。

この系図に登場する人物を見てみると、決して立派な人たちばかりではないことが分かります。汚れていると見なされていた遊女や異邦人、また偶像礼拝に陥り、没落した人々もいました。また立派な人とみられている人であっても、決して完璧な人生ではありませんでした。この系図は、それを決してうやむやにはしていないのです。例えば、6節後半には、ダビデ王が自分の部下であったウリヤの妻によって息子ソロモンを得たことが記されています。部下の妻が水浴びをしているのを見て、彼女を欲しくなったダビデ王は、その部下ウリヤを必ず戦死するような最前線に送るよう手配しました。そして、ダビデ王は、やもめとなったその部下の妻を、まるで憐れむかのように、自分の妻として迎え入れたのでした。こうしてダビデは、無理矢理合法化された不倫によって、その息子ソロモンを得たのです。これは偉大な王ダビデの最大の汚点とも言える出来事でしょう。この系図は、ダビデのこの汚点を決して曖昧にはしません。ここには、人間の罪と悲惨を乗り越えて、必ずや約束を実現して下さる神様の真実と愛がよく現れているのです。

 私が大好きな御言葉の一つにイザヤ書43章4節の御言葉があります。こういう御言葉です。「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛している。」

 イスラエルの人たちは、自分たちこそが神様に選ばれた「神の民」であるという誇りをもっていました。そして、それに見あうような黄金時代も確かにあったのです。イスラエルは、ダビデ・ソロモンという王様の時代には、絢爛豪華な宮殿に神殿、立派な町、様々な芸術作品、世界に誇る文化をもっていました。それは、あのシェバの女王がイスラエルを来訪した際に、その富と知恵の素晴らしさに感動し、圧倒された、と言われているほどです。ところが、このイザヤ書が書かれた頃のイスラエルは、バビロニア帝国に攻め込まれ、立派な神殿は破壊されて、エルサレムの町は瓦礫の山と化し、王様も含めて、ほとんどの人々がバビロニア帝国へ奴隷として連れて行かれてしまったのです。そしてバビロニアでの長い長い補囚の生活が始まりました。人々は、もうこんな落ちぶれた姿では神様から見捨てられてしまったのではないか、生きる価値など無いのではないか、と諦めかけていたのです。ソロモン王の時代ならば、自分たちがユダヤ人であることを誇ることも出来たでしょう。けれども、全てを失った今、もう帰る国さえもない。そして今、外国の奴隷として恥辱を味わっている。もう彼らのプライドはズタズタであります。しかし、その時に、この御言葉が語られました。「私の目にあなたは値高く、尊く、私はあなたを愛している。」と。つまり、「あなたには、あの黄金時代と少しも変わらない価値がある。絶大な価値がある。あなたの値打ちは寸分たりとも失われていない!」このように神様は、この落ちぶれた、どん底のイスラエルに対して語られたのです。私は、このマタイが書き記した系図を一つ一つ辿っていく中で、このイザヤ書の御言葉を思い起こしました。この系図も、結局は私たちに同じことを語りかけているのではないでしょうか。

 今、私たちを取り巻く環境は、決して安心できるものではありません。特に、今、私たちは、新型コロナウィルスの感染拡大によって翻弄され、いまだかつて経験したことのないような状況の中に置かれています。目の前の悲惨な状況を見る時に、これからいったいどうなってしまうのだろうかと、無力感にさいなまれ、不安に呑み込まれそうになってしまうことがあるのかもしれません。けれども、この世界は、神様が独り子を犠牲にしてまでも救いたいと願われた愛すべき世界です。事実、神様は、この系図に示されているように、繁栄の時代だけではなくて、没落の時代も、暗黒の時代も、絶えず、この世界を憐れみ、導き続けてこられました。神様は、人間の不信仰や罪や汚れを乗り越えて、約束通りに、御子イエス・キリストを、この暗闇の世界に遣わして下さったのです。

 目の前の現実がいかに絶望的であったとしても、私たちはそこから結論を引き出す必要はありません。そのような現実以前に、既に神様は、救いの御業をこの地において始められました。そうであるならば、私たちは何を心配する必要があるでしょうか。必ずや神様が、その救いの御業を完成へと導いて下さるに違いありません。神様は真実なお方です。約束なさったことは必ず果たして下さいます。クリスマスが、将にそのよき証しでありましょう。

 たとえ目の前の現実が、いかに絶望的であったとしても、私たちはそこに焦点をあてるのではなくて、神様が二千年前のあのクリスマスの日に、約束通りに、決定的な救いの御業を始めて下さったこと、あの主の深い憐れみに、私たちは焦点をあてていきたいと思います。そして、その「主の憐れみ」に感謝しつつ、今年も約束の成就であるクリスマスを、皆で喜び祝うために、それぞれに整えられたいと願います。

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