日曜朝の礼拝「よこしまな時代」

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よこしまな時代

日付
説教
吉田謙 牧師
29 今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
ルカによる福音書 11章29節

ユダヤ教の指導者たちは、天からのしるしを求めました。天からのしるしと言うのは、「イエス様が神様から遣わされた救い主である」ということを確かに示す証拠のことです。そもそも信仰というのは、やはり証拠を求める態度とは少し違うのではないかと思います。何故ならば、信仰というのは、結局、イエス・キリストに対する人格的な信頼だからです。この人格的信頼は、決して証拠を積み上げることで築きあげていくものではありません。交わりの中で築き上げていくものでしょう。聖書を読むことや礼拝を捧げることを通して、あるいは祈りを通して、イエス様から語りかけられ、またイエス様に語りかけていく、そういう中で、人格的な信頼が少しずつ芽生えていくのです。神様が私のことを大きな大きな愛で愛し、十字架の愛で包み込んでおられる。そのことを交わりの中で日ごとに味わっていくのです。そうやって信仰は少しずつ築き上げられていくのではないかと思います。

 「よこしま」という言葉は、本来真っ直ぐに向かうべきものに心が向かわず、目指すべきものから逸脱してしまう心のあり方です。しるしを欲しがる心は、そういう「よこしま」な心だ、神様と出会う筋道からは逸脱している、と言うのです。イエス様が私たちとの間に打ち立てようとしておられるのは、愛と信頼の関係です。相手が自分の期待にどれだけ応えてくれるのか、ということによるのではない、もっともっと深い交わりであります。その交わりのために与えられるただ一つのしるし、それが「ヨナのしるし」でした。マタイによる福音書の平行箇所には、この「ヨナのしるし」について、もう少し詳しく語られています。「イエスはお答えになった。『よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。』」(マタイ12:39-40)

 神様は、ある時、預言者ヨナにニネベという外国の町に行くようにと命じました。このニネベという町は、非常に堕落した町でした。ヨナは最初、そのニネベの町に行くのが嫌で嫌で仕方がなくて、それを断り、船に乗って逃げ出そうとしたのです。けれども、船旅の途中に嵐に遭遇し、結局は海の中に放り込まれてしまい、大きな魚に呑み込まれて、その中で三日三晩を過ごすことになります。その魚の中で、ヨナは主なる神様に心からの悔い改めの祈りを捧げました。やがてヨナは、その大きな魚から吐き出され、ちょうど吐き出されたところが、遣わされるはずのニネベの町の海岸だったので、そこで神の言葉を語ったのでした。そういう物語です。それと同じように、人の子、つまりイエス様も、「三日三晩大地の中にいることになる」と言うのです。これは、イエス様が十字架につけられて殺され、墓に葬られて、三日目に復活することを指し示しています。つまり、ヨナのしるしとは、イエス・キリストの十字架の死と復活のことなのです。このしるしの他には、しるしは与えられない、とイエス様は言われたのでした。

 この「しるし」は、人々が自分の願いによって求めた「しるし」とは全然違います。これは神様を値踏みするための「しるし」ではなくて、神様ご自身が私たちに与えて下さった「しるし」です。つまり、このヨナのしるしには、神様が、私たちとどのような交わり、どのような関係を結ぼうとしておられるのかが示されているのです。

 ヨナのしるしによって示されていることは、まず第一に、イエス・キリストが、私たちのために十字架にかかって死んで下さった、ということです。神様の独り子であるイエス・キリストが、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さいました。それによって私たちの罪が赦され、こじれていた私たちと神様との関係が平和になったのです。もう私たちは神様の存在に怯える必要はありません。逃げ回る必要はない。神様は私たちの敵ではなくて、味方になって下さったのです。

 そして第二に、そのイエス・キリストが死者の中から甦られたことです。死の力に勝利したイエス・キリストが、今も生きて私たちと共にいて下さいます。常に私たちの傍らにいて私たちを導いて下さるのです。神様が私たちに与えようとしておられる交わりは、この死に勝利したキリストと共に生きる交わりです。その交わりに生きる時に、私たちはいつか必ず訪れる肉体の死が決して絶望ではないことを知らされます。その死に打ち勝つ神の恵みを信じて、希望をもって生き、希望の内に死ぬことが出来る。「罪の赦し」と「死に対する勝利」、これが「ヨナのしるし」によって私たちに示されている事柄なのです。神様は、この恵みによる交わりを私たちとの間に打ち立てようとしておられます。それは、私たちが神様にしるしを求め、神様を値踏みする中で生まれる交わりとは全然違います。私たちの当面の願いや期待、必要に応えてくれるのは、八(や)百(お)万(よろず)の神々、ご利益の神のように思えるのかもしれません。けれども、聖書の神様が与えて下さるものは、もっともっと深い恵みです。イエス・キリストの十字架と復活とによって、「罪の赦し」と「死に対する勝利」が与えられる、私たちの最も根源的な必要が満たされるのです。

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