日曜朝の礼拝「気を落とさずに祈る」

日本キリスト改革派 千里摂理教会のホームページへ戻る

気を落とさずに祈る

日付
説教
吉田謙 牧師
1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。ルカによる福音書 18章1-8節

ここでイエス様は気を落とさずに祈ることの大切さを教えておられます。私たちは、一時的には熱心に祈っていたとしても、願いが応えられないと、すぐに疲れ果ててしまいます。私たちは、基本的には、せっかちなのです。大事なことは、気を落とさずに絶えず祈り続けることでしょう。神様がそれに応えてくださることは確かです。ですから、その時まで、「疲れ果てない」ことです。祈りが応えられるには、神の時があります。

 神様はアブラハムに子孫と土地の約束を与えられました。アブラハムとサラは、その約束を信じ、祈り続け、待ち続けました。しかし彼らは、とうとう待ちくたびれて、何度も失敗を繰り返してしまいます。約束の子イサクが与えられたのは、約束が与えられてから25年が経ってからのことでした。そして、約束の土地カナンが与えられたのは、なんとアブラハムの死後430年後のことであります。このように祈りが応えられるのには、神の時があるのです。しかも、それは、全ての必要をご存知である神様が、熟慮に熟慮を重ねて、ご計画された神の時なのです。

 アブラハムからイサクが生まれました。イサクからヤコブが生まれました。そしてヤコブからヨセフが生まれたのです。創世記37章以下のところに、このヨセフの物語が記されています。このヨセフという人は、神様のご計画によって大変な苦しみを味わった人でした。彼は父親から特別に愛されていましたから、お兄さんたちの嫉妬と恨みをかって、ついにお兄さんたちに騙され、深い穴の中に閉じこめられてしまいます。しばらくして彼はその穴の中から引き上げられました。けれども、もうその時には、既に彼は奴隷商人の手に渡っていて、奴隷としてエジプトに売り飛ばされてしまったのです。きっと彼は、穴の中で「助けて下さい」と神様に祈ったことでしょう。けれども、神様の考えは彼の思いとは異なっていました。また彼は、奴隷に売られた家で、その家の人から誤解をされて、ついには牢獄に投げ込まれてしまいます。誤解された時にも、きっと彼は、「助けて下さい」と神様に祈ったことでしょう。しかし、神様の考えは彼の願いとは異なっていました。その後も色んな出来事が不思議な仕方で織り合わされて、様々な苦しみの果てに、ついに神様の時がやってきます。彼はついに牢獄から助け出されて、不思議な導きによってエジプトの総理大臣に抜擢されたのです。そして、総理大臣になったヨセフは、神様の力をいただいて、その後、何年も続く飢饉をあらかじめ予測し、豊作の間に沢山の食糧を蓄え、本来、激しい飢饉によって滅んでいたであろうエジプトとユダヤ民族を救うことになったのでした。このように彼は苦しみの中で救いを求め、呻き、祈りましたけれども、彼の祈りの通りではなくて、神様のご計画が実現したのです。しかし、それは彼にとっても、彼の民族にとっても、本当は最善のことだったのです。ヨセフは呻いている時に、本当に必要なことを知りませんでした。神様だけが知っていたのです。私たちにも、同じようなことが言えるのではないでしょうか。苦しみの中で、私たちは必死に祈るんですけれども、呻くんですけれども、本当に必要なことは私たちには分かっていません。もしかすると、私たちが願っていることは、私たちの勝手な思い込みにしか過ぎないのかもしれない。けれども、神様はそういう私たちの間違いだらけの祈りであっても、ちゃんと受けとめて下さいます。そして、私たちに今、最も必要なことを全部ご存じのお方として、その時々に最も相応しいものを惜しまずに私たちに分け与えて下さるのです。

 最後に、ニューヨーク大学リハビリ研究所の壁に刻まれている詩を紹介して終わりたいと思います。こういう詩です。

「大きなことをなそうと力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。より偉大なことが出来るように健康を求めたのに、よりよきことが出来るようにと病弱を与えられた。幸福になろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、神の前にひざまづくようにと弱さを授かった。人生を楽しみたいとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。求めるものは一つとして与えられなかったが願いはすべて聞きとげられた。神の御心にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言いあらわせない祈りはすべてかなえられた。私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。」

 神様は、私たちの祈りをちゃんと受けとめて下さいます。そして、全知全能の神様が、その知恵と力を尽くして、その私たちの祈りに答えて下さるのです。そのことをしっかりと心に刻みつつ、私たちも失望することなく、疲れ果てることなく、忍耐強く神の時を祈り待ちたいと思います。

礼拝に来てみませんか?

千里摂理教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら06-6834-4257まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。